佐伯経範の生没年を『陸奥話記』をもとに推定すれば、997年前後~1057年となる。
(ただ、彼が”藤原公光の子”であるとすると、次のように年代が合わなくなる。
【父・藤原公光について】
『尊卑分脈』では「従五位下相模守、実父公行、母兵衛佐?文女 上東門院宣旨」とされる。実父とされる公行は『日本史総覧Ⅱ』を見ると「前佐渡守(註:1027年時点)」「前司(註:前土佐守、1028年時点)」とあり、その生年は雑駁に見積もって990年前後、公行の子とされる公光も1020年前後ではないかと想像される。系譜上”公光の子”とされる佐伯経範であるが、『陸奥話記』をもとに推定した生没年とすれば、養子としても先代の年代より先々代の年代に近いことになる。なお、逆に源義朝の子・朝長の生没年をもとに伯父義通、祖父遠義、さらに秀遠・経秀・経範とさかのぼった場合は、佐伯経範のおおよその生年を11世紀前後に想定することは可能のようだ。)
また、歌人相模の生没年も不明とされているが、990年代(992年説、998年説など)~11世紀後半(1061年以降)との研究があり、佐伯経範とはほぼ同じ時代を生きたことになる。