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私の第三十四夜をつづります。

漆部伊波の富と力とは?

  10月5日から始まった藤沢市の古代史講座に出かけた。一般市民の私が、文献から古代の歴史を読み解く世界に惹きつけられるようになったのは、この藤沢市(博物館準備担当)で長年にわたって行われている講座がきっかけだったと思う。発掘調査の現地説明会と同じように、毎回、わくわくしながら出かける。
 昨日の内容は、相模国式内社である石楯尾神社、そして坂上石楯という人物をめぐるものだった。坂上石楯(石村村主石楯)という人は、764年の恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱の際、押勝の首を討ち取った軍功で、その官位が大初位下から従五位下へと昇叙したという。
 講座の内容とは別に、相模国に関連する例では、764年、同じく恵美押勝の乱の鎮圧に功労があったとして、漆部伊波という人が外従五位下から従五位下に叙されている。奈良時代の地方において、大初位下や外従五位下という官位がどのような権威を持っていたのかは分からないが、国司級の従五位下の官位となれば、地方豪族としてはめざましい出世だったことだろう。
 果たして奈良時代、官位を持つ地方豪族という存在は、坂上石楯のように、いったん中央政治を揺るがすような軍事行動が起きれば、直ぐさま兵として動員される戦闘要員だったのだろうか。これまで漆部伊波について豪商(?)のようなイメージを持ち、地方豪族という存在について、大きな経済基盤を持った政治的実力者のように感じていたのだが、坂上石楯の荒々しい残忍ともいえるような武人としての一面に、地方豪族の別の在り方を知った。
 人間が”富”という重荷を持ち始めてから、いつの時代も、末端の現場で生死・生活基盤をかけ、否応なしに手を汚して闘う人たちがいて、一方では、そこから遠く離れた安全なところで、人が人として生き続けるために必要な文化が生まれ育ち長く受け継がれてゆく。
 昨日の午後の講座を聴いたからだろうか、夜中に目が覚めて、朦朧とした頭で古代社会に生きた人々についてしばらく思いを巡らせた。そして21世紀の今の社会のさまざまな場面において、手を汚さない人たち、手を汚して生きる人たち、といった二つの流れが生まれ続けているのではないだろうかとも思った。