このように、想定を見直す材料が見つからないのは、たぶん、無知と思い込みが偏狭につながっているから…と思う。つまり、自分の思い込みを強くする材料しか眼に入らない(探していない)のだと思う。
旅から帰ってからも、思い込みの眼が見たのは次の詞書だった。
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『古今和歌集』 巻第五 秋歌上 (『新編国歌大観』)
僧正遍昭がもとに ならへまかりける時に、をとこやまにて をみなへしを見てよめる
布留今道
227 をみなへし うしと見つつぞ ゆきすぐる をとこ山にし たてりと思へば
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【註:布留今道について】
そして、”布留今道”の道筋を、次のように想像してみた。
① 京 ⇒ 男山(男山を経る理由があった) ⇒ 木津川沿いに南下 ⇒ 「奈良」または「楢」
このうち、②の道筋は、歌人相模の初瀬参詣推定ルート(往路)と重なる。
ただ、両者が②のルートを選んだとしても、その理由は分からない。
しかも、平安時代と言っても、9世紀後半と11世紀前半とでは、時間が大きく隔たっている。