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私の第三十四夜をつづります。

2014-03-01から1ヶ月間の記事一覧

走湯参詣ルート3 『相模集全釈』315・316・317の歌

『相模集全釈』(武内はる恵 林マリヤ 吉田ミスズ 風間書房 1991)より、引用させていただく。 【「雑」の部】 315 あけくれの 心にかけて はこね山 ふたとせみとせ 出でぞたちぬる 通釈 常々参詣したいと思っていた走湯権現に箱根の山坂を越え、二・三年来…

走湯参詣ルート2 『相模集全釈』281・284の歌

『相模集全釈』(武内はる恵 林マリヤ 吉田ミスズ 風間書房 1991)より、引用させていただく。 【「さいはひ」の部】 281 御山まで かけくる波の 満ちひかば 世にあるかひも ひろめざらめや 通釈 伊豆山まで波しぶきをかける満ち潮が退いたなら、海辺にある…

2014.3.29

午後、明日の雨に打たれる前に花見をしようと、総合公園に向かう。 街は人出が多かった。そうか、今日は休日なのだ…と思う。 歩き続けると長袖が暑く感じられてくる。腕まくりして、日陰を選ぶ。 総合公園はすっかり春景色になっている。満開に近い花の下に…

走湯参詣ルート1 『相模集全釈』の詞書

歌人相模は相模国に下向して3年目を迎えた正月(『相模集全釈』では1024年)、走湯に参詣した。 私は、この走湯参詣を軸とする『相模集』と、歌人としての相模、受領の「つま」としての相模という女性に関心を持った。そして3年目を迎えた。しかし、いまだ何…

2014.3.24

よどみ続ける心を洗い流したい。 連休最後の日、海に向かった。 ベンチには、久しぶりに”浜辺暮らしだった猫”の姿。 ベンチから少し離れたテラスの階段にすわる。 ”彼女”と同じように、今日の浜辺の光と風を受けとめてみる。 眼の前の砂浜で、小学生たちがサ…

2014.3.21

春が進んでいる。 近くの駐車場の白い桜は満開となり、18日の春一番で散っていった。 その18日、殻をわずかに一つ割った紫木蓮は、今日、全てのつぼみが点火されたように萌えはじめた。 3年ほど前に友人から分けてもらったクリスマスローズは、今春初めてつ…

2014.3.18

昨日の平塚海岸は、台風のあとでもないのに、大量の漂着物が打ちあがっていた。 大半は人々の暮らしから出た夥しい大小のゴミ。そして海藻やナマコやヒトデたち。 あまり見かけたことがない巻貝も目に飛び込んでくる。 東の砂浜から、数人の方たちがこちらに…

2014.3.15

社会人となって、家と職場を往復する暮らしをしていた時代、道端に咲く小さな花を楽しみに歩くことなどなかった…ように思う。 ただ、その頃でも、山道を歩きながら、いつも思い出す句があった。芭蕉の「山路来て なにやらゆかし すみれ草」という句だった(…

2014.3.14

昨日の午後、雨が降るなか、図書館に出かけた。傘を打つ雨の音で、外界から閉ざされたような気持ちになる。子どもの頃に教科書に登場した”コペル君”がビルの上から観たのは、こんなふうな灰色に塗り込められた雨の街だったのだろうか。とりとめのない意識の…

2014.3.10

先日、2011年3月11日の星空(「星空とともに」)をプラネタリウムで見た。 あたたかなシートに座って、まばゆい星のまたたきを見て、ヘブラーの弾くピアノの音を聴いている・・・3年経って、今、私はこんな程度だ。何をするわけでもなく、ただ生きている。 …

2014.3.8

思えば、四十代の頃の鬱屈は、吐きだしたいほど苦しかったように思う。 六十代になっても鬱屈はある。ただ、それは滓のような感じだ。吐きだして、消えたり、軽くなったりするとも思えない。その鬱屈は消えるはずもないのだ。生きることのしがらみなのだろう…

2014.3.6

先日、集合住宅の塀際に立つ一本の樹の名前を尋ねられた。”名前”を知ること、覚えることの苦手な私が知る由もなかった。ただ、その特徴のある葉の形から、すぐにその名前が分かった。その名も「カクレミノ」。 その樹の”名前”を知って、なぜか安心する。もち…

2014.3.4

春が行きつ戻りつしている。 晩春からは、初夏~夏へと一気に突き進むのに比べ、3月はまだ、光と寒気がせめぎあっている。冬ごもりの虫も、二度寝を楽しんでいるかもしれない。 陽ざしの出た午後、水辺の楽校にクイナを探しに行く人に同行することにした。 …

2014.3.3

次兄は畑を借りて野菜を作っている。収穫の季節に、新鮮な”おすそわけ”が来る。いつも、食べきれないほどたくさんの野菜たち。先日も巨大な白菜、重い大根、キャベツ、ほうれん草を届けてくれた。 その時、次兄は不思議なことを言った。私たちが育った家に、…