enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

2014.3.3

 次兄は畑を借りて野菜を作っている。収穫の季節に、新鮮な”おすそわけ”が来る。いつも、食べきれないほどたくさんの野菜たち。先日も巨大な白菜、重い大根、キャベツ、ほうれん草を届けてくれた。
 その時、次兄は不思議なことを言った。私たちが育った家に、『絵のない絵本』という本がなかったかと。ピンク色の表紙で…、と私にたずねる。
 思ってもみなかった問いかけだった。どきっとする。なぜ、そんなことを、と。
 私は、今でもその本を持っていること、大事にしていること、小学生の頃、母が東京で買ってきてくれたのだ…そんなことを話す。
 次兄は、最近、夜寝ると、その本のことを思い出すのだ、と続ける。
 不思議なことだ。7歳年上の次兄が、子どもの頃、その本を読んでいたなどと、今まで考えたこともなかった。しかも、次兄はその本を自分の本だったと思っている。不思議なことだ(もしや、私のほうが、記憶をつくりかえていたのだろうか)。
 次兄は遠い昔、その本を読んだ…そして今、その本について、何を思い出しているのだろう。聞きたかったけれど、話題はほかの話に移っていった。小川洋子の本のこと、アンネ・フランクの本の被害の話題などへと。
 結局、次兄には「今度、アンデルセンの本、見てちょうだい」と言って別れた。
 なぜなのか良くは分からないけれど、『アンデルセン童話集 絵のない絵本』は、私たちにとって、何か特別な意味を持った本なのだろう。きっと、私たちの家、私たち家族に係る特別の意味をもっていたのだ。
 69歳、62歳になった兄妹が、いまだに何かしら、家や家族についてずっと引きずっているものがあるのだ。それは不思議なことでもあり、自然なことでもあった。
 次兄と別れたあと、その本を本棚からとりだしてみる。その昭和28年発行の傷んだ本の裏見返しには、「…小学校 …年…組」とたどたどしい字が書かれていた。たぶん、次兄の字ではなくて、私の字。
 
アンデルセン童話集 絵のない絵本』(創元社 世界少年少女文学全集21 北欧編1)
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「沼の王のむすめ」のなかから
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