enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

2011-03-01から1ヶ月間の記事一覧

11.3.31

私が二十九歳から五十九歳になるまでの三十年間。 その意識の流れのなかで、今の一瞬を堰き止めようと形にした言葉。 それらを、この『enonaiehon』にまとめました。 十一日という日を堰き止めることなく押し流してゆくこの三月を忘れないために…

第八夜に寄せて

風ふきて 濠に解かるる花の帯 汝が腕のぬくもりに沈み 冬の夢 松風にまじる鉄路の響き 海より届く 露すだく庭 花こそすがれ緑なまめく 日ざかりの庭 磔刑の向日葵 みの虫の午睡の風も静まりぬ 初雪の 幽けく心の庭に降る 欠伸して 鬱屈吐き出せと 春の空 あ…

06.1.12

絵のない絵本 私が冷たい星くずになって ふるさとの星に別れを告げようとしたとき 黒く波打つ海に光の砂の島が浮かんでいたのだった。 私は眼を凝らした。 なつかしい胸さわぎがして。 そして三日月の形に光る島の岸辺に 忘れがたいひとの影をとらえた。 六…

05.7.5

誘いと惑い 蝶は幻惑に捕らわれている ひらひらと ひらひらと 花屋の冷たい硝子窓が誘っている ひらひらと ひらひらと 硝子窓の奥にはツクリモノの花たちがほほえんでいる ひらひらと ひらひらと 蝶は捕らわれている 短いいのちを ひらひらと ひらひらと 「…

03.5

最後の日に いつかその日に 私を去りがたくさせるもの 私をくりかえし 生き続けさせたもの それは 嵐を含んだ鉛色の空 濃密な六月の夜の香気 落葉松の径にふりそそぐ黄金色の雨 そして たった私だけの記憶の羽ばたき 最後の日に 私は それらすべてを あの空…

02.1.26-2

時の流れこそ 「美」の遍在証明だった とどまろうとし 頽廃していくこと それこそが私の意識だった 風が流れ 雲が流れ 梢が鳴り 葉が舞い 木漏れ陽がゆらめき 季節がめぐり 旋律がめくるめく すべてがとどまらず あまねく美しい 私は その流れのかたわらで …

02.1.26

窓をたたく強い雨音に 子どものころの いくつかの 切り取られた記憶 それらが なぜ 意識の底から くり返し 浮びあがってくるのか 長い間 意味ありげに保留され続けた 無声の記憶 五十歳を過ぎて ようやく わかるのだ それらが なぜ 反芻されなければならなか…

01.6.25

六月という季節 六月 夜更けて ひそやかに 米をとぐ よびさまされる みずみずしい 生命の音 私は アジアの流れのなか 六月 濃密な夕暮れ 白い花の香りが 垣根をぬけて はるかな記憶の鍵穴にすべりこむ 私は アジアの風のなか 六月 雨上がりの午後に浴びるシ…

01.6.1

夕 泳 くらげのような月が 雲の波間を泳いでいた ピンクの波 ブルゥの波 真珠色の波 浮かぶように 沈むように 私もいつのまにか はかなげな光の海に漂っていた 月はやがて まぶしいほどに発光し 暗い水底に沈もうとしている

01.1.8

市原 多朗/神の恩寵 天の高みへと運ばれる 聖なる輝かしい声 張りつめた空気が 甘やかな波となって 私の全身の皮膜を通り抜け 心臓を収縮させる 一瞬 何かが成就し 熱い血液が私の喉もとからほとばしるのだ このめくるめく一瞬のために 私は生きていた

00.12.29

予定調和としてのプリマ・ドンナ 脳味噌を突き抜けて ほとばしる叫び…… マリーア・カラス! 貴女の キリキリとふりしぼられた声帯の切っ先が 今日も私の心臓を正確に傷つけ 血を流す

00.12.23

自由からの逃走 心はアナァキィ。 とりあえず 丈夫な皮膚の砦が必要だ。 いずれ 気の利いた衣をあつらえてから 逃げ出せばいい。 心はアナァキィ。 それはブヨブヨと 少女達の胸から尻へと 溜まっていくから 人目をひかないよう 早めに社会化しなくてはなら…

00.11.20

庭を横切っていた猫たち 母を訪れていた寡婦たち 通りですれ違った老人たち やがて 彼らを どこにも見かけなくなっていた すべてが いつの日か そんなふうに 消えてゆく 十一月の時雨れる夕刻 ふと そんなふうに

99.10.28

未必の恋 恋心の種子は いつか 空から運ばれた 雨が降り 風が渡り 光と影のうちに その形を編もうとした 貴女は やわらかな葉が 揺れては触れあうさまに 耳を澄ませ どこにもない恋の在処を 確かめようとしている 知らず知らずのうちに 息をひそめて いつか

98.9.3

お母さんと手をつないだ小さな女の子とすれ違った。 「あそこにケムチがいるよ!」 歌うような声と明るい瞳に出遭って 私はたじろいだ。 数歩進むと 小さな毛虫が 苔むした石畳の道を横断していた。確かに。 ふわふわの毛むくじゃらの毛虫よ おまえは そんな…

97.5.8

人と自然と神とが親密だったころ 人びとの荷はもう少し軽かっただろうか 人びとはゆっくりと老いていっただろうか あゝ 嵐をふくむ南風よ 鉛色の美しい夕空よ 私のメランコリを天高く かつてあった場所へと 連れ去ってはくれまいか

96.10.3

Nostos Algos 秋の光が 一瞬 私をとおりぬけ さびしい形をした魂だけが 透きとおった風にさらされた こんなとき 光のような 風のような たとえようのないところへ かえってゆきたいと希うのだ

96.8.23

雲は流れ 川は流れ 時も流れ 私はどこから歩きはじめたのだったか? どこからも遠い場所に立ちどまる 「風」 かなたからの風を頬に受け 「夕焼け」 その移ろいのなかに 「私」は在るというのか それとも無いというのか 風は在る 夕焼けは在る とどまらず た…

96.6.25

メリー・ポピンズが飛んできそうな西風だった 鼻眼鏡の坊主たちが 虫取り網を肩にかけて 行進だ 風の音に交わって キラキラした瞳の笑い声が 駆けまわる 風は失ったものを運んできて 私の心を洗ってしまう

96.3.9

Tさんへ 涙の海のなか ヴィオラをさがして 深く深く むせびながら 沈んでいった 青い海の底 悲しみのよどみの上に 静かに静かに 私を横たえた 音もなく 光もなく 今は 波立つ心のありかも わからない 充たされた海は揺りかご 私はひととき眠ろう ヴィオラを…

94秋

あなたは だれなのか? 夢のなかで 私は 女だった その人と 時のない時間を過ごした 腕に頬をあずけ どこまでも満たされていた そんなにもなつかしい心を忘れていた 別れる時が来て 私は叫びをあげた その人は 歌いながら 何かを語ってくれた (あなたは だ…

94.8.31

病む頭 机につっぷしている”こいつ”の望みは ”おまえ”の息の根を止めること だから右手に大きな消しゴムを摑ませてやる ゴシゴシゴリゴリ 頭のあたりを机の上で消してみろ 苦しいか? 気持ちがいいか? ボソボソのかすだらけになったぞ 楽になったか? すっ…

94.8.30

火 刑 ぐちゃぐちゃだ/ぐゎんじがらめだ うなり/叫び/たたきつけて/恥じ入るのだ 存在の穴からギリギリ噴きあげてくる ただれた塊 あゝ こいつを穴ごとズルズル曳きずりだし 天日にさらして焼きつくしたら どんなに清々とすることだろう

94.6.10

母の哀しみ もうたくさんよ。 いつも同じ話。うんざりなの。 心で拒否した。 眼でののしった。 優しい言葉を惜しんだ。 母こそが 新しい思い出が欲しかった。 新しい経験を語りたかったのだ。 私のすぐそばで 母は そういう毎日を生きていた。

94.3.25

風は生きている 言葉のない世界で 扉をたたき 窓をふるわせ 閉じかけた心にささやきかける 遠い日 あなたは あんなにも自由だったではないか? 黒い髪は葉のように 幼い腕は枝のようにうたった もう一度 あなたは あんなにも自由に うたうべきだ 言葉のない…

87.8-3

セガンティーニの静謐 夏の乾いた空気と強い陽射し 草原から木末へとわたる風 光がまぶしく 音さえも遠ざかる 時の流れがせきとめられたところから 何かが静かに溢れだしている それは光でもあり 無でもあるような この繰り返し訪れる無の記憶を 私はなつか…

87.8-2

ロワールの岸辺で 女神ディアナの白い狩り衣からこぼれた露は 青い流れとなって 緑の谷をめぐってゆく 蛇行する時の河をさかのぼる その果てから 貴方は何を運びくるのか すくう指から輝き落ちる その時の一滴 その青い流れ

87.8

夏の印象 夏のプロヴァンスでセザンヌの林檎を齧った 赤い果皮は艶やかに甘くはじけ 青い果肉をうるおした 向日葵はいっせいに黄色のヴァカンスを楽しみ いまだ幼い葡萄たちは緑のハンモックに隠れ 秋の夢を育てていた プロヴァンスの夏は短く その光は 白い…

87.6

たそがれて みじかき日 終はりぬ 夕風は 白き夾竹桃をなぶり むなしき心揺さぶりて 消えぬ あゝ 今日を生きて 今日を繰りかへす たそがれて むなしき問ひ 残光と薄闇のあはひにたゆたふ

87.5

落葉松の林のなか 若く強い足音が近づいてくる 夏の手前のゆるんだ空気を震わせ 私を追い抜こうと 一瞬 木漏れ陽をさえぎり 迷彩色の少年は通り過ぎる 落葉松の林のなか その確固とした幼い迷彩服は 樹々たちのまどろみを当惑させる かつて はるか ヴェトナ…