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私の第三十四夜をつづります。

2014-05-01から1ヶ月間の記事一覧

2014.530

気のまったく進まない作業で午前・午後の数時間を費やした。疲れた。 あと二三日はかかるだろうと思うと気が重い。修行と思ってあきらめるしかないか。 突如始まった耳鳴りも止まってくれない。初めての経験。 経験して初めて、うっとうしいものだと分かる。…

2014.5.29

「昨日、浜辺にたくさん黄色い花が咲いていた…」と教えてもらった。 きっとマツヨイグサ(?)のことだ。 シャワーのような天気雨が去ったあと、海に出かける。 教えてもらった東寄りの浜まで、木のテラスを歩く。 今日の陽ざしが強かったのだろうか、テラス…

仁明天皇時代の尾張国司と相模国司

「尾張における緑釉陶器生産に淳和院が関与していた」と想定する論考(『湘南新道関連遺跡Ⅱ』2009)を読んだ時点で、尾張国司のなかに相模国司や嵯峨源氏・仁明源氏と係わる人がいるのだろうか、と調べたことがあった。 結果、嵯峨源氏である源 弘(845年、尾…

2014.5.25

昨秋と同じような気管支の怪しい雲行きを不安に感じながらも、吸入器をお守り代わりに、津久井町へと出かけた。 結局、歩きはじめてみれば、何ともなかった。会の仲間たちと調査をしながら、走るのも、階段を登るのも、不安に感じる暇がなかった(昨日まで、…

相模国司・橘岑継と橘真直

相模国府域の9世紀の景観を明らかにしようと、これまで、多量の緑釉陶器の出土(遺跡別出土点数)、相模国司の顔ぶれ(嵯峨源氏・仁明源氏の連続補任)、大住郡大領・壬生直広主の異例な出世(従五位下、外従五位上まで昇進)について、自分なりに考えをめぐ…

2014.5.23

午後の浜辺。 通り雨で、砂の色が濃くなっていた。 ウミネコの群れが、鳴きあいながら空を舞う。 波の音を聴きながら渚伝いにゆっくり歩いた。 この波のリズムはどこから生まれてくるのだろう。 いつも、私の呼吸のリズムを鎮めてくれる。 家では気管支が細…

側溝を持つ古代道、持たない古代道

17日、海老名市望地遺跡の現地説明会に出かけた。 調査で忙しいさなかの現場で開かれる説明会は、とても貴重な機会だ。 久しぶりの古代道路の現場を楽しみに、海老名駅から現場に向かう。 目久尻川を渡り、坂(大山道南坂だろうか?)の途中にある現場に着く…

走湯参詣ルート10  伊豆山神社から”日金峰”へ

まだ桜が咲き残る4月7日、海沿いの走湯参詣ルートの一部(湯河原~熱海)を歩いてみた。 そして、貴族女性が「かかるついでにゆかしき所見むとて…」と参詣を思い立つにふさわしく、比較的に容易なルートであることを確かめることができた。 (平安時代の11世…

2014.5.14

数日前から気になってしょうがない。 通りの電柱の横に、細い柱(構内柱というのだろうか)が立っている。 そのてっぺんあたりから、細くてにぎやかな声が聴こえてくるのだ。下の道路からは何も見えないのに。 そして、エサをくわえたシジュウカラがやってき…

2014.5.13

13日、雨上がりの午後、国会議事堂前に着いた。 ”国会包囲 人間の鎖”に参加する・・・60代の私にもできることはこのくらいなのだ。 100年前の1914年8月、日本がドイツに宣戦布告し、世界大戦に加わった歴史を思う。 そして2014年の今、私たちの国が、武力紛…

2014.5.7

今日の海は青かった。そして陽ざしも風もやさしかった。 それだけで幸せな気持ちになった。 波打ち際で遊ぶ小さな男の子とお父さん。パラソルをさして浜辺にすわるお母さん。 シャツを脱ぎ、波の中で遊ぶ少年たち。五月の海に入ってゆけるのは、男の子ならで…

2014.5.6

一昨日、昨日、今日と早起きが続いた。 一昨日は何となく。昨日は地震で。今日は仕方なく。 だからなのか、昼間、横になりたくなった。 気管支がヒューヒューと鳴っている。呼吸は苦しくないので気にせずに眠ってしまった。 目が覚め、昼寝をしたことを後悔…

2014.5.4

薔薇の季節になった。 五月になると、薔薇の咲き具合が気になる。 梅、桜、薔薇、そしてクチナシ、落葉松の黄葉。 その季節が近づくと、心が誘われる。 明日からの雨の前に、と総合公園まで散歩に出かけた。 八幡山公園の薔薇、パイロット工場の垣根の薔薇、…

再び不動平へ(6)

2日、下吉沢に向かう。 今日こそ、大光寺跡に残されている礎石を見ようと、朝から意気込んで出かけた。 その礎石について、『平塚市郷土誌事典』(平塚市 1976年)の「大光寺」の項では「…カンマン不動尊は、もと同地の不動平と呼ぶ丘上の堂にあったが、江戸…

2014.5.2

初夏の下吉沢に出かけた。 沢水をせきとめた”ため池”を見る。 弁天通を抜けて不動川に流れ込む水。 暗いような明るいような水面をアメンボがすべっていた。 敗戦となる年の2月11日に作られ始めた”ため池”を、今は水神碑が見守っている。 すぐ南隣の大光寺跡…

追記:相模権守・源重之と”こゆるぎの磯”の歌

先に、喜び勇んで書きとめた自分の文に、いささかの不安と疑いが湧く。 はたして、源重之の”こゆるぎの磯”の歌に、「さがみにて」の詞書があること、それだけをもって、彼が相模国に実際に赴任した、と解釈してよいのだろうかと。 思えば、在任中(970年代)…