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私の第三十四夜をつづります。

追記:相模権守・源重之と”こゆるぎの磯”の歌

 先に、喜び勇んで書きとめた自分の文に、いささかの不安と疑いが湧く。
 はたして、源重之の”こゆるぎの磯”の歌に、「さがみにて」の詞書があること、それだけをもって、彼が相模国に実際に赴任した、と解釈してよいのだろうかと。
 思えば、在任中(970年代)に見た実景をふまえての歌ではなく、例えば、彼が最晩年、陸奥国に向かう旅(990年代)の途次で、相模国を行き過ぎる際に詠んだ可能性がないとはいえない。
 そこで、確たる根拠にはならないが、『重之集』と『兼盛集』に載る次の歌のやり取りを、源重之が相模に赴任したことの一つの材料として考えたいと思う。
 たまたま、970年代という時期、源重之は相模権介・相模権守であり、平兼盛は隣国の駿河守であった。それぞれの歌集に残る歌からは、まさにその時期、二人が相模と駿河にあって、お互いに近しく歌のやり取りをしていたこと、彼らの任国に隣接する伊豆や甲斐の国も含めた東国という地理的空間のなかで、ともに存在していた…そんな空気が感じられるのだ。
 
 『新編国歌大観 第三巻』(角川書店 1988年)から引用させていただく。
 
 『重之集』より
「 兼盛 するがのかみ なりけるとき、そのくになりける をとこの、きよみがせき といふところに また 人まうけて、このめのもとに いかざりければ、かくなんあると かみに うれへたりければ、かみかねもり
170  よこばしり きよみがせきに ひとすゑて いづてふことは ながくとどめつ  
  をんなにかはりて
171  せきすゑぬ そらに心の かよひなば みをとどめても かひやなからん  」
 
 『兼盛集』より
「 するがなりける物の男 いづといふ所に かよふが、さきに 人まうけて もとの人のもとには まからざりければ、神にうれへ侍りける  うれへぶみには しはべりける、兼盛
139  よこはしり きよみが関の かよひぢに いづといふことは ながくとどめつ
  とありければ、しげゆき かへし
140  関すゑぬ 空に心の かよひなば 身をとどめても かひやなからむ  」