先に、喜び勇んで書きとめた自分の文に、いささかの不安と疑いが湧く。
そこで、確たる根拠にはならないが、『重之集』と『兼盛集』に載る次の歌のやり取りを、源重之が相模に赴任したことの一つの材料として考えたいと思う。
たまたま、970年代という時期、源重之は相模権介・相模権守であり、平兼盛は隣国の駿河守であった。それぞれの歌集に残る歌からは、まさにその時期、二人が相模と駿河にあって、お互いに近しく歌のやり取りをしていたこと、彼らの任国に隣接する伊豆や甲斐の国も含めた東国という地理的空間のなかで、ともに存在していた…そんな空気が感じられるのだ。
『新編国歌大観 第三巻』(角川書店 1988年)から引用させていただく。
『重之集』より
「 兼盛 するがのかみ なりけるとき、そのくになりける をとこの、きよみがせき といふところに また 人まうけて、このめのもとに いかざりければ、かくなんあると かみに うれへたりければ、かみかねもり
170 よこばしり きよみがせきに ひとすゑて いづてふことは ながくとどめつ
をんなにかはりて
171 せきすゑぬ そらに心の かよひなば みをとどめても かひやなからん 」
『兼盛集』より
「 するがなりける物の男 いづといふ所に かよふが、さきに 人まうけて もとの人のもとには まからざりければ、神にうれへ侍りける うれへぶみには しはべりける、兼盛
139 よこはしり きよみが関の かよひぢに いづといふことは ながくとどめつ
とありければ、しげゆき かへし
140 関すゑぬ 空に心の かよひなば 身をとどめても かひやなからむ 」