enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

2016-06-01から1ヶ月間の記事一覧

2016.6.28

今年の六月、まだクチナシの香りに出逢っていない。花が咲いている場所は分かっている。図書館への道、海への道。どちらにも、クチナシの花が咲く庭がある。ひっそりとした庭に咲いている。 六月の夜、白い花から重く甘い香りが地面へと降りてゆく。そして闇…

2016.6.26

夜半(それとも未明?)、気がつくと強い風が吹いていた。少し開けておいた出窓から、夜の風の叫びが吹き込んで、目が覚めたのだった。窓を閉め、また浅く眠った。 夕刻になって、海に出かけた。外に出ると、道をそぞろ歩く人たちから、”休みの日”の軽やかな…

2016.6.23

一昨日、カレンダーを見ると”夏至”とあった。 明るい夕方にぼんやりと親しむうちに、昼夜の拮抗バランスは、もう折り返しの地点に達していたのだ。 22日午後、鶴見の講座に出かけるために外に出る。雨は降っていなかった。 この季節、近所の引き込み線柱から…

寄り道の覚書:『多武峰往生院千世君歌合』の静範②

“伊豆配流となった静範”に係わる歌を詠んだ、藤原兼房・大弐三位・素意法師と、「多武峰往生院千世君歌合」について、これまでに理解したことをまとめてみた(参考:『新編国歌大観』・『平安時代史事典』・『新国史年表』・『平安人名辞典』など)。 〔藤原…

2016.6.18

17日、海を見に出かけた。 歩くのに呼吸は不自由でない。当たり前のようなことがありがたかったりする。 最近は昼でも、図書館を往復するのに、速足では息苦しいことがある。着いてから、呼吸を鎮める時間が必要になったりする。結構情けない。それでいて、…

寄り道の覚書:『多武峰往生院千世君歌合』の静範①

『後拾遺和歌集』の藤原兼房の歌(996)と大弐三位の返歌(997)のやり取りのあとには、もう一首、“伊豆配流となった静範”に係わる歌(998)が続いている。 この素意法師の歌(998)の存在については、今回初めて気がついた。2012年時点で、作者の素意法師の…

2016.6.13

12日、鎌倉市由比ヶ浜で開かれた現地説明会の帰り道、扇ガ谷をまわってから電車に乗ることにした。六地蔵で県道を外れ、北に向かった。 行き着いた寿福寺のたたずまいは、観光地鎌倉のにぎわいを離れて、ごく閑かなものだった。鎌倉は不思議な町だといつも思…

砂丘上の石棺墓

12日の日曜日の午後、鎌倉市由比ヶ浜に出かけた。 6月に入ってからの報道で、鎌倉の砂丘地域で古墳時代の石棺墓が発見され、少年が埋葬されていた、と知った。かなり意外なニュースだった。そして、古墳時代の石棺墓と聞いて、あの鎌倉の浜辺に古墳が?と早…

寄り道の覚書:静範と「八幡の宮のことにかヽりて」②

藤原兼房の歌(『後拾遺和歌集』 996)の詞書に記された「八幡の宮のことにかヽりて」の意味について、今回自分なりに理解したこと・解釈したことは以下の通りとなる。 (ただし、996の歌の詞書が記された時点…1063年以降~1086年頃まで?…において、という…

寄り道の覚書:静範と「八幡の宮のことにかヽりて」①

これまで、歌人相模について、そして平安時代の相模国府の様相について、自分なりに一歩でも近づきたいと思ってきた。しかし現実は、寄り道で道草を食うのが精一杯、と分かってきた。基本的に力不足なのだと思う。虚しくはあっても寄り道で道草を食うしかな…

2016.6.9

雨の少ない梅雨。日蔭を探すような日や、風の涼しい日が続く。 8日、3回目の講義を聴きに鶴見に出かけた。試験もレポートもなく、ただ聴くだけで許される講義だ。大人になってからも、夢のなかで、突如”試験寸前!(きまって、数学の試験だった)”という状況…

2016.6.5

昨日、安曇野の友人に、久しぶりに短いメールを送った。何とか生きてる…すぐにそんな返事が届いた。携帯の小さな文字に、友人の声が重なって聴こえるような気がした。私も似たような毎日…そう思った。 午後になって、海に向かった。じきに雨を運んできそうな…

2016.6.2

5月が終わった。 爽やかな季節になってから、夜中に吸入薬を使うことが多くなった。再び、子どもの頃のように、夜は”発作をやり過ごす時間”になってゆくのかもしれない。 1日、家を出て街へと向かった。 近くの店の角に小さな女の子と若いお母さんが立ってい…