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私の第三十四夜をつづります。

砂丘上の石棺墓

 12日の日曜日の午後、鎌倉市由比ヶ浜に出かけた。

 6月に入ってからの報道で、鎌倉の砂丘地域で古墳時代の石棺墓が発見され、少年が埋葬されていた、と知った。かなり意外なニュースだった。そして、古墳時代の石棺墓と聞いて、あの鎌倉の浜辺に古墳が?と早とちりした。さらに、その少年は長柄桜山古墳群の被葬者の系譜に連なる人だろうか…と、勝手に想像を巡らせた。
 しかし、新聞記事を読み、その年代は古墳時代中期から後期(5~7世紀)と幅が大きいこと、古墳が出たわけではなかったと分かった。
 
 江ノ電由比ヶ浜駅の北裏にあたる“長谷小路周辺遺跡”の現場に着く。鎌倉駅周辺の観光客と変わらないほど、多くの見学者が詰めかけていた。
 眼の前には大きく掘り込まれた砂丘の発掘現場が広がっている。そこに地下宮殿のように並び立つ旧建築物のコンクリート柱。やはり、鎌倉のこんなところに…と思ってしまうような現場だった。見学者は、砂丘の北に向かって下がる斜面で検出されたという石棺墓を、北側から覗き込む形になっていた。
 いつものようにカメラを向けることを無遠慮なものに感じつつ、剥き出しにされた石棺墓と少年の姿を拝した。新聞記事の写真の通り、白い石の棺(?)のなかで、繊細な骨格がすらりと伸びやかに横たわっていた。人の骨格というものを、こんな風に素直な気持ちで見たのは初めてのように感じた。
 これまでの調査現場で、押し込められたような屈葬の形の埋葬者を見た際には、”死”に対する畏怖や忌避の雰囲気が漂うように感じてきたからだ。
 静かに眠るような…生前の少年の姿が浮かび上がるように感じた。そして、少年の頭は南東(東南東?)の方角に向けられていた。早とちりの私には、その方向は、少年が長柄桜山古墳に眠る人たちのもとへと旅立ったことを示すように感じられた。

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Ⅱ区:南東を向く石棺墓…新聞記事では「箱式石棺墓」とあったけれど、箱型・棺型には見えず、むしろ、かつて厚木市の登山2号墳の礫槨を見学した時の印象に似ているように思えた。帰宅後、石棺墓では石棺を覆う石は備わっているものなのだろうか?と疑問が浮かんだ。この現場では、そうした蓋石のようなものは見られなかったけれど。

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奈良・平安時代の遺物…Ⅰ区東半部~Ⅱ区にかけて奈良・平安時代の遺構(竪穴住居12軒、土坑7基)が検出されているようだ。内面に暗文が施されている薄手の赤い土師器と、私には見慣れない(相模型ではない?)色合い・形の薄手の土師器が展示されていた。