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私の第三十四夜をつづります。

由比ヶ浜に眠っていた若者のその後

 2016年6月、由比ヶ浜で行われた現地説明会…その現場は海辺の光のなかにあった。そして、詰めかけた人々は、砂浜の下に眠る古墳時代の若者を見つめた。21世紀の砂浜に忽然と現れたその人は、繊細な骨格を石棺に横たえながら、私たちの視線に静かにさらされていた。

 今日、その時の記憶が思わぬきっかけでよみがえった。生命の星・地球博物館で久しぶりに会った友人が携えていた報告書(『長谷小路周辺遺跡発掘調査報告書』 2016年12月 ㈱斉藤建設)が、その時の調査のものだったから。
 由比ヶ浜に眠っていた若者について、その報告書は、次のような見解を記していた(昨夏の現地説明会以降、私は”少年”としてイメージしたままだったので、驚きがあった)。

「…石棺の長軸と遺体の大きさはほぼ一致している。左の腕は腰骨の下にあり、少し窮屈な姿勢で埋葬されている。腰骨の突起もそのままの状態で確認されていることから、遺体を布等で包んで安置し、直ぐに砂で覆ってから天井石を載せた可能性を考えている。…身長154.9cm、性別は女性、年齢は10代後半。脊椎分離症が認められ、成長期に腰部に負荷のかかる生活環境にあったことが推測される。副葬品は出土していない。」

 あの若者は”少年”ではなく、10代後半の”娘さん”だったのだ。
 その身長154.9cmについて、報告書では「当時の女性として平均的な身長といえる」としている。
 現代の女子高生と比べ、少し小柄な彼女が「脊椎分離症」となった要因とは何だったのだろう…。
 何よりも、彼女はなぜ若くして亡くなったのだろう…。
 
 また、彼女の骨格にはすらりとした優雅さが感じられたけれど、納められた棺はやや窮屈なものであったことも分かった。なお、埋葬時の彼女が布のようなもので包まれていたことも分かった。
 そして、現場では見当たらなかった天井石が、四つほど確認されていたことも初めて分かった。
 
 こうして、現地説明会では分からなかったことが、報告書で解明され、その一方で新たな謎が生まれたりする。
 今後、どのような展開が待っているのだろうか…由比ヶ浜に眠っていた若者の姿をもう少し知りたいと思う。

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石垣山の山並みと早川の流れ(生命の星・地球博物館から)