enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

2018.1.15

 一昨日、海に出かけた人から、ダンベイキシャゴ(?)と小さな茶色の二枚貝をもらった。
 貝を集めた小さな箱に入れようとすると、浜砂がさらりとこぼれた。
 
 風も穏やかになった昨日、 『貝はまだ残っているだろうか…』と海に出かけてみた。

 今年初めての海。冷たい青色の波の上に大島の影も浮かんでいる。
 西空の太陽は二子山の左手に落ちてゆこうとしている。
 やや雪の薄い富士山も、湘南平も、今日一日の最後の陽射しのなかにあった。
 
 波打ち際をしばらく歩いた。波跡に沿って小さく欠けた貝がらたちが残っていた。
 じきに、手はかじかみ、足の指先にも冷たい痛みを感じるようになる。
 淡い夕焼けが大島の上空にまで広がる頃、真冬の海風に負けるように浜辺をあとにした。

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1月14日の大島

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1月14日の富士山

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1月14日の波打ち際

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海岸近くの教会のマリア像:
海に向かう途中、教会に立ち寄り、敷地奥にたたずむ聖母子像を眺めた。弟を抱く姉のように幼く慎ましいマリア像だった。
その表情は、はるか昔に出会った女性に良く似ているように感じた。
硬そうで厚みのある茶色がかった長い髪。腰骨でスカートをはくようなスレンダーな体つき。彼女の外見は外国のTVドラマに出てくる少女のようにのびやかだった。
同期入社の彼女と言葉を交わすようになった時、彼女にはすでに”インコちゃん”という不思議なあだ名がついていた。話してみて、そのあだ名の意味が分かった。相手が彼女に投げかけた言葉の一部をそのまま、つぶやくように舌足らずに反芻する癖があったから。
そして、その話し方はどこかためらいがちで自身についてはぐらかすようであったり、時に早口になって、静かに燃えることのある内面を隠しきれないようでもあった。
彼女について、彼女から教えてもらったことはほんのわずかだった。
学生時代はフランス語を学んだこと。(いかにも、彼女はフランス語を選びそうだった。)
実際にインコを飼っているのだ、ということ。(本当に飼っていたのだ…と思った。もちろん口には出さなかった。)
彼女の口から「安東次男」の名があがったこと。(私はその名前だけしか知らなかった。)
会話の中で、なぜか”存在そのもの”という言葉が出てきた時に、やはり急に早口になったこと…。
(私は、彼女はきっとフランスの哲学も学んだのだろう…と想像した。)

そうして、彼女は数年後に退職していった。(私は連絡を取ろうとしたはずだけれど、返事がなかったのだろう、そのまま音信不通になっていった。)
あの頃から40年以上経った今でも、かつての同期たちとの会話のなかで、「インコちゃん、どうしているかしら」と彼女のことを遠く思い出すことがある。
そして今、教会のマリア像は、あの頃の”インコちゃん”に良く似ているけれど、彼女のほうがもう少し個性的だった…と思い直している。