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私の第三十四夜をつづります。

2017-01-01から1ヶ月間の記事一覧

ともに座り込むことはできないけれど。

友人からメールが来た。 そのなかに「沖縄 さまよう木霊 ~基地反対運動の素顔~」という番組のアドレスが載っていた。 言いようのない反感に心臓が脈打った場面もあった。 座り込む人の眼。 見つめている先には何があるだろう。 腹の据わった声は地に根を張…

20171.27

今朝、早起きして朝焼けを眺めることができた。 「三文の徳」というより「朝焼けの得」。 私にとって早起きでも、世の中はもうすっかり活動開始の時間だった。 駅へと急ぐ人は前を向いている。 空を仰ぐのは、雨を気にする時だけかもしれない。 私がそうだっ…

私にもあるかもしれないのだし。

買い物帰り、信号を待っていて、ふと母のことを思い出した。 急に切なくなってしまって空を見上げると、暮れようとする空に一番星が光っていた。 横断歩道を渡りながら、遠い昔、母の機嫌をいたく損ねた出来事を思い出した。 それは、母が「三省堂」のことを…

伊豆山神社の「男神立像」と『走湯山縁起』の”権現像”⑩‐まとめにならないまとめ(3)

”まとめにならないまとめ”の続き 〔2〕伊豆山神社「男神立像」とは何か? 2012年に大磯と熱海で神像を初めて拝してから、神像の存在に関心を持つようになった。 そして、伊豆山神社「男神立像」の存在が大きくなっていった。 『あなたはだれなのか?』 伊豆…

2017.1.23

冷え込みに身構える日が続く。 それでも、はっきりと夕暮れが遅くなっている。 5時を過ぎた空の色合いに、気持ちが明るくなる。 (夜明けも早くなっているのだろうけれど、こちらのほうは早起きしないと分からない。) 今日は夕焼け雲も広がった。 木々の小…

伊豆山神社の「男神立像」と『走湯山縁起』の”権現像”⑩‐まとめにならないまとめ(2)

~ ”まとめにならないまとめ”の続き~ 〔1〕伊豆山神社「男神立像」の制作年代のまとめ 2012年の『熱海ゆかりの名宝展』では、伊豆山神社「男神立像」の制作年代は ◎「平安時代中期 11世紀」と紹介されていた。 この年代観はおそらく、 鷲塚泰光氏の論考(「…

伊豆山神社の「男神立像」と『走湯山縁起』の”権現像”⑩‐まとめにならないまとめ(1)

『相模集』(『相模集全釈』:1~597)の半分は、歌人相模が1020年代、走湯参詣で詠んだとされる歌…「走湯権現奉納百首及びその贈答歌」(:222~524)…で占められている。 約3ヶ月後、届けられた”走湯権現”からの返歌(:321~421)について、歌人相模は詞…

伊豆山神社の「男神立像」と『走湯山縁起』の”権現像”⑨

『走湯山縁起』巻第五…「〔按標題重複雖可疑姑存之〕 走湯山縁起第五」の部分…において、10世紀の堂社の変遷が記されている。縁起譚とは別の実録として受け止め、次のような一覧表をまとめてみた。 ~10世紀代の走湯山における堂社・神仏の造立~ ●:造立 ▲…

伊豆山神社の「男神立像」と『走湯山縁起』の”権現像”⑧

思えば、歌人相模は伊豆山参詣に際して、次のような思いを抱いていた。 ~『相模集全釈』より~ 「常よりも思ふ事あるをり、心にもあらで東路へ下りしに、かかるついでに ゆかしき所見むとて、三とせといふ年の正月、走湯に詣でて、なに事もえ申しつくすまじ…

伊豆山神社の「男神立像」と『走湯山縁起』の”権現像”⑦

『走湯山縁起』巻第五の一部目(”深秘”の巻)では、走湯山が次のように位置(意義)付けされているように思われた。 *「伊豆」を「東夷之境所」と位置付ける *走湯山のなりたち(地域の自然や信仰といった”地域のアイデンティティ”…他に適切な言葉があるの…

伊豆山神社の「男神立像」と『走湯山縁起』の”権現像”⑥

『走湯山縁起』巻第五は「走湯山縁起第五 深秘輙(すなわち)不レ可二披見一」の部分と、「〔按標題重複雖可疑姑存之〕 走湯山縁起第五」の部分の二部(?)が残されている。 前者は、伊豆山全体の地理的自然を俯瞰して、壮大なイメージを描き出す。それは伊…

2017.1.10

9日の朝、安曇野の友人からメールが届いた。「積雪22cm」とあった。前日の8日は、平塚でも真冬の冷え込みだったけれど、雪が舞うようなことはなかった。 安曇野に雪を積らせた9日。平塚では、午後になって雨が上がった。空気に瑞々しい潤いを残しながら、…

知ることの意味

インターネットの世界を”覗く”ようになったのは、2000年か2001年頃だったろうか。日々、卓上の小さな機械から頻繁に情報を得るようになった。 そして、私の老いつつある頭は、細切れの多様な情報で毎日混乱するようになっていった。 どの情報を信頼し、受け…

伊豆山神社の「男神立像」と『走湯山縁起』の”権現像”⑤

『走湯山縁起』の「巻第四 雷電」の記事は、905年春から906年2月15日~3月上旬にかけての、ごく短い時間で展開し、932年5月に「伊豆守 菅原氏胤」が記したことになっている。 【註:「雷電金剛王子」の降臨後、906年3月上旬、一同が上京して上奏するくだりに…

伊豆山神社の「男神立像」と『走湯山縁起』の”権現像”④

『走湯山縁起』の巻第三では、真言宗・天台宗の僧が、9世紀初頭から10世紀初頭までの間に、次のように連続して登場する。 *嵯峨朝の記事(819年):東寺大和尚(弘法大師)が登場 *仁明~文徳~清和朝の記事(835・836・855・858年):賢安(甲州八代郡の…

2017.1.1

あたたかな元旦。 午後、長兄の家に出かけた。 街がどことなく浮き立っているように感じる。 行き交う人の表情もみな晴れやかなような。 花水川に架かる橋の真ん中から見る大山。いつも、つい足を止めてしまう。 兄の家では、帰省した姪の赤ちゃんが家族の輪…