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私の第三十四夜をつづります。

伊豆山神社の「男神立像」と『走湯山縁起』の”権現像”⑥

 『走湯山縁起』巻第五は「走湯山縁起第五 深秘輙(すなわち)披見」の部分と、「按標題重複雖可疑姑存之〕 走湯山縁起第五」の部分の二部(?)が残されている。
 前者は、伊豆山全体の地理的自然を俯瞰して、壮大なイメージを描き出す。それは伊豆国における走湯山を「地下赤白二色二龍交和而臥」のイメージとしてとらえ、さらに地底の「八穴道」は日本の各地に通じる、と物語る。

【註:伊豆山周辺の地理的自然…「筥根之池水」、「日金山〔久良地山〕、「松岳」、「日金嶺之地底」、「温泉」、「二色浦」、「新礒之濱」、「龍眼根」、「龍之鼻根」など…が、「地下赤白二色二龍」の体の各部分と照応するように意味づけられている】

【註:「八穴道」が通じる先は、①戸隠の第三重巌穴、②諏訪之湖、③伊勢大神宮、④金峯山上、⑤鎮西阿曾湖水、⑥富士山頂、⑦浅間之嶺、⑧摂津州住吉】

 こうして、巻第五の「深秘」の縁起譚は、伊豆山の東西南北にわたる地理的環境を具体的に取り上げながら、その地理と重ねた「地下赤白二色二龍」の鮮やかなイメージを、さらに日本の聖地ネットワークのなかに位置づけようとしているようだ。
 ただ、「赤白二色二龍」という新たなイメージの表出によって、巻第一・第二に登場する3仙人(松葉・木生・金地仙人)の時代の物語のなかで形成された”背の高い権現像”は影をひそめ埋没している。また、巻第二に登場した”地主白道明神”…ここでは一方の「白龍」と理解すべきなのか、「赤白二色二龍」の総体と理解すべきなのか、不明…の影は感じられても、やはり”権現像”は姿を消しているように感じられる。
 なお、この巻第五の「深秘」の縁起譚に登場する「身」については、次のような関係性(?)として記されているように理解した。ただ、どう解釈すればよいのか…。
  
 *龍の背に載る「円鏡」(「神鏡」)を「法身」とする
 *「神龍」を「権現霊体」の「俗体」とする
 *「千手(菩薩)」を「応身」とする
 *「龍体」を「報身」とする
 *「俗体」(「権現霊体」の「俗体」である「神龍」)を「化身」とする

 「権現霊体」とは、ある時は”背の高い老人”として、またある時には「龍体」として化身すると理解すればよいのだろうか。その場合、”地主白道明神”はどこに位置づけられるのだろうか。”権現像”と”地主白道明神”とは、”外来の護法神”と”地主神”という関係性にあったものが、この時点で“習合”(?)している、と考えてもよいのだろうか。

 また、最後に「三神輿」として「一番走湯権現。 二番女体。 三番雷電。」、「神馬三疋」として「一辛夷童子。 二岩童子。 三桜童子。」が記されている。ここで登場する「桜童子」は「神馬」ではあるけれど、走湯山において、辛夷の木、岩、桜の木などが人々の信仰のもとにあったことが想像できる。「男神立像」がそうした神木・霊木であった桜の木を”御衣木”としたことにも繋がるだろうか。