前者は、伊豆山全体の地理的自然を俯瞰して、壮大なイメージを描き出す。それは伊豆国における走湯山を「地下赤白二色二龍交和而臥」のイメージとしてとらえ、さらに地底の「八穴道」は日本の各地に通じる、と物語る。
【註:伊豆山周辺の地理的自然…「筥根之池水」、「日金山〔久良地山〕、「松岳」、「日金嶺之地底」、「温泉」、「二色浦」、「新礒之濱」、「龍眼根」、「龍之鼻根」など…が、「地下赤白二色二龍」の体の各部分と照応するように意味づけられている】
【註:「八穴道」が通じる先は、①戸隠の第三重巌穴、②諏訪之湖、③伊勢大神宮、④金峯山上、⑤鎮西阿曾湖水、⑥富士山頂、⑦浅間之嶺、⑧摂津州住吉】
こうして、巻第五の「深秘」の縁起譚は、伊豆山の東西南北にわたる地理的環境を具体的に取り上げながら、その地理と重ねた「地下赤白二色二龍」の鮮やかなイメージを、さらに日本の聖地ネットワークのなかに位置づけようとしているようだ。
ただ、「赤白二色二龍」という新たなイメージの表出によって、巻第一・第二に登場する3仙人(松葉・木生・金地仙人)の時代の物語のなかで形成された”背の高い権現像”は影をひそめ埋没している。また、巻第二に登場した”地主白道明神”…ここでは一方の「白龍」と理解すべきなのか、「赤白二色二龍」の総体と理解すべきなのか、不明…の影は感じられても、やはり”権現像”は姿を消しているように感じられる。
なお、この巻第五の「深秘」の縁起譚に登場する「身」については、次のような関係性(?)として記されているように理解した。ただ、どう解釈すればよいのか…。
*龍の背に載る「円鏡」(「神鏡」)を「法身」とする
*「神龍」を「権現霊体」の「俗体」とする
*「千手(菩薩)」を「応身」とする
*「龍体」を「報身」とする
*「俗体」(「権現霊体」の「俗体」である「神龍」)を「化身」とする
「権現霊体」とは、ある時は”背の高い老人”として、またある時には「龍体」として化身すると理解すればよいのだろうか。その場合、”地主白道明神”はどこに位置づけられるのだろうか。”権現像”と”地主白道明神”とは、”外来の護法神”と”地主神”という関係性にあったものが、この時点で“習合”(?)している、と考えてもよいのだろうか。