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私の第三十四夜をつづります。

初島から伊豆山を眺めて

 9日、初めて初島を訪ねた。洋上から、そして灯台から伊豆山~富士山を眺めた。初めて見る景色であるのに、もう既に視ていたような不思議な気持ちがした。
 初島には初木神社があり、初木姫の伝説が記されていた。
 以前、伊豆山神社についての興味から『走湯山縁起』の世界にもさまよい込んだ。
 今回、初島から遠く伊豆山のあたりを眺めながら、『走湯山縁起』が形成される過程で、”人々のなかに息づく神々の物語”の導入に、この初島という存在が採り入れられたことが、しごく自然なことのように感じた。
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~『走湯山縁起 巻第五』から引用(抜粋)~
「・・・・・・
景行天皇三十一年。久良地山之上有大杉木。其脂膏凝滴如白雪所-照日月之光。其中心消融。其香気宛如龍脳。従其中一男一女。于時有巫女。号初木。以此二子之如己子。不旬忽成長。一云日精。一云月精
第十三帝 志賀高穴御宇。被諸国之堺。至当国此二人-畢。此二人為夫婦。以月之上旬八穴之道-。以下旬-当山。国人以之号神冥-。此権現氏人之元初也

系図。註上統枝葉
初木 養母。日精女 月精男  --見津--赤松--安木--若木--若松--木村--姫初--坂会--月神--日向--月景--大谷--蜂木--直木--桑名--名代--若椿 岩松蔵大夫
                                |--立岩 延斅 童名也。  」 
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初木神社

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初木神社の説明板:
 この説明によって、初木神社の創建年代については、ご神体である懸仏の制作年代から、鎌倉時代以前と推定されること、また、初木神社の社殿下からは、古墳時代の祭祀跡が発見されていることも分かった。
 なお、”鎌倉時代以前”の歴史時代の遺跡については、初木神社近くの「海洋資料博物館」の展示から、”枡形遺跡”・”中ノ段遺跡”で「平安時代以降の円形土坑」が発見されていること、初島では古墳時代平安時代以降に人々の活動が予想されることも分かった。
 一方、初島に伝わる”初木姫”の伝説や”お初の恋”の物語については、次に引用(抜粋)した『走湯山秘決 一巻』(鎌倉~南北朝時代 14世紀、漢字片仮名混じり文)についての解説(『伊豆山神社の歴史と美術』 奈良国立博物館 2016年)が参考になった。
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~『伊豆山神社の歴史と美術』から引用(抜粋)~
「・・・・・・
さて、『走湯山秘決』は、初木という名の巫女(女神)を主人公とし、初島(熱海市)の祭神でもあるこの女神を通して、走湯権現の由来を語るという内容である。人王五代孝昭天皇御世から説き起こし、応神天皇代の相模の海での神鏡の出現までを記述する。内容的には『走湯山縁起』の巻五の所伝に近いが、それと相互に補完し合う関係にあり、『走湯山秘決』は当初より『走湯山縁起』と一体のものとして編纂されたテキストであろう。」
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海洋資料館の展示から(初島の遺跡分布地図):
 「中ノ段遺跡」と「枡形遺跡」は、現在の「初島公園」一帯…島の中央部に近く、小高い地点…に展開したようだ。検出された”平安時代以降の円形土坑”が、近世にまで降る可能性もあるのか、解説文からは読み取れなかった。

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源実朝の歌碑:
 「中ノ段遺跡」に近いと思われる「初島公園」に建つ。
 初島から富士山~箱根山を振りさけ見れば、「箱根路をわが越えくれば」と詠んだ実朝の動きが、逆に豆粒のように遠い遠い動きとして見えてくるようだった。 

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初木神社に残る道祖神

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初木神社に残る道祖神(左端):”初木姫”の伝説と重なるような面影。 

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初木姫と伊豆山彦の物語を記す説明板(内容は上掲の説明板と同じ)

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初木神社前:初島の太い幹の松に親しみを感じた(港近くには”お初の松”が大きな体をうねらせている)。
そういえば、引用(抜粋)した『伊豆山縁起 五巻』の「権現氏人」の中にも、”赤松、若松、岩松蔵大夫”などの名があった。10世紀後半の伊豆山隆盛に貢献した”延斅”の時代から、初島には松の木が多く育っていたのだろう…そんなことを思った。