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私の第三十四夜をつづります。

2013-04-01から1ヶ月間の記事一覧

2013.4.30

今朝、南の窓を開けると明るい鉛色の空があった。そして湿り気のあるやわらかい空気。 一瞬、あの空の向こうに夏が来ているのだ、と感じる。 連休に入った土曜日の海岸。 乾いた木のテラスは人々でにぎわっていた。 若い女性たちが白い円卓を囲み、そのまわ…

2013.4.26

10日ぶりに海へ向かった。 今日も風が強い。浜辺の読書はできそうもなかった。 それでも砂の上にすわってくつろぐ(ように見える)人がいる。 緑と青の二色に分かれた海が広がっていた。 また巻貝を探してみようと、波打ち際を歩きはじめる。 ダンベイキシャ…

覚書:12世紀の相模国と甲斐国の不動明王立像

12世紀という時代、不動明王像が大磯丘陵の地(現在は平塚市下吉沢‐八釼神社)に祀られた背景を想像する材料として、東国での類例を探してみた。 同じ相模国では、厚木市の「木造不動明王立像」(現在は厚木市酒井‐法雲寺)がある。その像高は95.5㎝で、平塚市…

2013.4.16

先日、大磯丘陵から遠く垣間見た海は青い帯のように明るかった。なのに、なぜか儚い印象を受けた。 おそらく万葉集の時代の人々には身近な感情だったのではと想像する。どこか個人的なものとは別の、誰かと共有する感傷のように感じるのだ。 急に青い帯のよ…

”不動平”への道(4)、追記:「霧降瀑碑」と二宮氏と「宮座」

昨日、8日の下吉沢で調べ残した道を改めて歩いてみた。 ”不動平”に向かう別のルート・・・東向きの八釼神社の南脇から登る道で、このルート上に139.6mの三角点があるはずだ。しかし結果として、その三角点を確認できないまま、前回の”不動平”に行き着いてし…

下寺尾の景観とともにある官衙遺跡群

13日、茅ケ崎で「もっと知りたい 下寺尾官衙遺跡群 フォーラム」が開かれた。 十数年前、古代の遺跡に私が初めて魅せられたのが下寺尾だった。 下寺尾寺院跡から出土した布目瓦に目を見張った。 北陵高校グラウンドから顕れた高座郡衙跡とされる遺構に胸を躍…

”不動平”への道(3)、追記:”不動平”と二宮氏

午後は「”不動平”から、不動川の源である鷹取山への道」を歩くことになる。 標高160mほどの ”不動平”想定地(註1)から尾根道をたどって標高219mの鷹取山へと進む。右手に目立って大きな樹が立っている。近寄ると、木の陰に石祠が据えられていた。”不動平”…

”不動平”への道(2)

12世紀の不動明王像と"不動平"とが切り離されて久しくなってしまった21世紀の今も、この地が地元の人々に崇敬され続けていることが、石段の新しさなどからうかがわれる。 頂上に登りながら、『あの少年のような不動明王像が、12世紀の新旧相模国府を守るよう…

”不動平”への道(1)

今年の一月末、寒風のなか、下吉沢の不動明王像を初めて拝観した。それから二か月余の間に、季節は初夏へと進んでいる。春の嵐が過ぎた昨日、12世紀の不動明王像がかつて祀られていたという”不動平”を探そうと、 下吉沢を訪ねた。 平塚駅からバスに乗り、中…

2013.4.7

昨日の朝、春の嵐が近づく前に熱海に向かった。 鉛色に鈍く光る空のもと、伊豆の海は白波が不穏な動きを見せていた。 海べりの横穴から走り出る湯をあとにして、伊豆山神社までの急階段を一直線に登り始める。 昨年四月半ば、初めて伊豆山神社を訪れた時、満…

『古代豪族』(青木和夫)の語り

読み続けている『古代豪族』の文章は、今の私に生き生きと語りかけてくる。著者の知識・研究の蓄積を糧にした思索の足跡を、それは楽しそうに語りかけてくる。その学問上の評価を、歴史に素人の私など知るべくもないが、私がもう一度人生を生き直し、この著…

2013.4.3

春の花屋さんに入った。 春の花の匂いがいっぱいだった。 花屋さんの一人は「お好きな色をどうぞ」と言った。 花屋さんのもう一人は「男性の方? 女性の方?」とだけ聞いた。 ガラスケースからてきぱきと選ばれた薄青色のトルコ桔梗と薄黄色のガーベラが て…