~ ”まとめにならないまとめ”の続き~
◎「平安時代中期 11世紀」と紹介されていた。
◎「10世紀末から11世紀初頭」という年代観をもとにしているように思う。
◎「10世紀後半」が示された。
ここでは、二人の研究者の論考を読んで私が理解したことをまとめてみたい。
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◇鷲塚泰光氏の制作年代推定◇
*肖像彫刻に近い手法からの推定
○良弁僧正像(東大寺、1019年造像か)に通じる
*神像の耳の表現からの推定
○耳輪を太く大きくまわし、”9”に近い輪郭を作り、内部は簡略化(10世紀末~11世紀初頭)
*神像の体部の表現からの推定
○自然で簡潔な表現でありながら立体表現は写実的に行う(概念的表現に至った12世紀の神像とは異なる)
*衣文の彫法からの推定
○袖などに幅広の帯状衣文を浅く鎬立たせて明快に刻む(10世紀制作とされる神像の延長線上にある)
○衣文を形式的に整えようとする黒石寺の僧形坐像(1047年)より先行すると考えられる
*手の彫法と沓の表現からの推定
○顔と同様に写実を志向する手の彫法、大ぶりで力強い沓の表現(平安中期の様式を伝える)
*像高からの推定
○群を抜いて大きい212.2cm(7尺)の像高(時代が降るとともに像高は小さくなるという傾向から、初期神像彫刻の作例の範疇)
*結論:10世紀末から11世紀初頭にかけての様式を明確に示す
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◇山口隆介氏の制作年代推定◇
○康保2年(965)に「権現之像一体 高六尺」が安置されたという記事を、「男神立像」と直接結び付け、記事の像が「男神立像」にあたる可能性を考える
(権現像の「高六尺」は、髪際高で6.38寸(193.6cm)の「男神立像」と大きな誤差はない)
(権現像の「高六尺」は、髪際高で6.38寸(193.6cm)の「男神立像」と大きな誤差はない)
*翻波式衣文の彫り口からの推定
○「男神立像」の強さのある彫り口は10世紀後半のものとみて矛盾はない
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これまで私は、『走湯山縁起』の記事について、素人の理解力で 「10世紀末から11世紀初頭」・「10世紀後半(965年)」 という二つの見解を頭に置きながら眺めてきた。
それはおそらく、権現像の「高六尺」という像高というものが、権現像がいつの時代に制作されようとも「高六尺」を下回ることはないのであって、「権現之像一体 高六尺」という康保2年(965)の記事をもって、「男神立像」そのものとすることはできない、と考えられていたからではないだろうか。
つまり、権現が長身であるというイメージは、『走湯山縁起』のなかで繰り返し、印象づけられているのだ。
【註】
異域神人(湯神):長8尺=242.4cm
権現御体(「吉野光像」と呼ばれる):6尺2寸=187.9cm
異域神人(湯神):長8尺=242.4cm
権現御体(「吉野光像」と呼ばれる):6尺2寸=187.9cm
このイメージが尊重されていたならば、965年以前においても965年以降においても、もし権現像が制作された場合は、最低でも「高六尺」の像高は常に保たれていたと想像される。
鷲塚氏はそのうえで(965年の記事にこだわることなく)、表現・彫法などのさまざまな分析から年代幅を極力絞り込み、最終的に「10世紀末から11世紀初頭」と位置づけられたのではないだろうか。
これらの思いから、私としては(大変僭越なことではあるけれど)、鷲塚氏の「10世紀末から11世紀初頭」 の見解をこれまでどおりに尊重したい。1981年時点での鷲塚氏の結論は、私とって今なお説得力を持ち続けているのだ。
【蛇足(私の妄想):
もし、「10世紀末から11世紀初頭」という「男神立像」の制作年代を、さらに絞り込むことができたならば、歌人相模の走湯参詣を果たした1020年代に近づく可能性があるのでは…と夢見る。
そして、歌人相模が帰京を前にして走湯参詣を果たした背景にも妄想は広がってゆく。
1020年代、走湯山の整備事業が965年のように大規模に行われた可能性。そのなかで「男神立像」が制作された可能性。こうして、”まとめにならないまとめ”は、いつものように妄想に終わってしまう。】
もし、「10世紀末から11世紀初頭」という「男神立像」の制作年代を、さらに絞り込むことができたならば、歌人相模の走湯参詣を果たした1020年代に近づく可能性があるのでは…と夢見る。
そして、歌人相模が帰京を前にして走湯参詣を果たした背景にも妄想は広がってゆく。
1020年代、走湯山の整備事業が965年のように大規模に行われた可能性。そのなかで「男神立像」が制作された可能性。こうして、”まとめにならないまとめ”は、いつものように妄想に終わってしまう。】