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私の第三十四夜をつづります。

伊豆山神社の「男神立像」と『走湯山縁起』の”権現像”⑩‐まとめにならないまとめ(3)

 ”まとめにならないまとめ”の続き

〔2〕伊豆山神社男神立像」とは何か?

 2012年に大磯と熱海で神像を初めて拝してから、神像の存在に関心を持つようになった。
 そして、伊豆山神社男神立像」の存在が大きくなっていった。
 『あなたはだれなのか?』
 伊豆山神社男神立像」に、ずっとこの問いを繰り返してきた。
 その思いは、上野の展示室で百済観音像を眼にした時、『百済観音はきっと地上に降り立ったのだ…』とまで感動した気持ちとは、まったく別のものだ。
 もちろん、伊豆山神社男神立像」の高さと威容に造形としての魅力も感じるけれど、ほとんどは、その”性格”への好奇心なのだと思う。

 その”性格”について、今回、むりやりに出した答えは次のようなものだ。
(素人の私には”根拠”を挙げる力はなかった。でも、”印象”としての答えであっても、何か形をつけたかったのだ。)

伊豆山神社男神立像」の”印象”から想定した”性格”

神仏習合的な権現像(袈裟を着けるが定着する以前の”原初的な権現像”であるか、または”願主・像主独自の権現像”としての性格
  走湯山縁起』(書写年代は南北朝初頭か)の”権現像”に関する記事や、12~13世紀代に制作された銅造・木造の伊豆山権現立像、大磯町高来神社の木造男神立像がすべて袈裟を着けるのに対し、袍のままであること
  【註:『走湯山縁起』の”権現像”のイメージ】
     ①異域神人(湯神) 長身(8尺=242.4cm)) 
                  壮齢(五十有余) 
                  頭に「居士冠子」 
                  白い衣 
                  茶色の袈裟を着ける 
                  右手に水晶の念珠 
                  左手に錫杖 
     ②権現御体(「吉野光像」と呼ばれる)
                  長身(6尺2寸=187.9cm)
 写実的な表現からはモデルが実在したこと、そのモデルとしては願主・像主周辺の人物が予想されること。

護法神としての性格
 像容のシルエットが天部形の帝釈天像に似通うこと。
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             ~帝釈天立像伊豆山神社男神立像」のシルエット~
                        (シルエットを比較するために、像高を等しく縮小して総描)

イメージ 1
左:立山町「銅造帝釈天立像」  中:熱海市伊豆山神社男神立像」  右:京都市元慶寺「木造伝帝釈天立像」
 
【註】
左 : 像高54.4cm。1230年制作。従来「立山神像」とされてきたもの。
中 : 像高212.2cm。袍(ほう)は武官が着用する脇が開いた形のものか。また沓は、神護寺の吉祥天立像(1127年)と似通う。なお、天部形頭部に似たシルエットの幞頭(ぼくとう)について、鷲塚氏は神仙のイメージを重ねていたと思われる(後述の【補記】の通り)。
右 : 像高169.9cm。11世紀初頭頃の様式とされている。やや、シルエットが重い印象。1801年、妙法院から元慶寺に移されたもの。
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 男神立像」が祀られていた場所について、鷲塚氏の論考では「像は本殿奥の三間にわかれた朱塗の宮殿内東の間に安置され、几帳の奥の簡素な素木厨子内に祀られていた」とされていることから、本地仏の東を守るという位置に祀られていたこと(護法神としての性格)を想像させること。

【補記:”原初的な権現像”・”護法神としての性格は、鷲塚氏の次の論考をもとに想定した。
 
 「また本像が幞頭を戴くことや内陣厨子内とはいえ左〔註:向かって右=東、と解釈した〕の間に祀られていることを考慮すれば、御神体そのものとするよりは神体として顕現した円鏡に仕え祭った「松葉仙人」や「木生仙人」のような神仙に擬する可能性も無しとはしない」、
 「像主については明らかにしえないが、『縁起』中の叙述からすると、古式の”伊豆山神像”とする可能性が最も強く、一歩しりぞいて考えれば祭神に奉仕した古代の神仙とすることも服制その他から考えられないことはない。」
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 以上が、現時点での”まとめにならないまとめ”のすべてだ。
 伊豆山神社の「男神立像」が神像として独自の像容を持つことは、独自の性格を持つことを示している…それだけは確かなことのように感じている。