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私の第三十四夜をつづります。

伊豆山神社「男神立像」と”御衣木(みそぎ)”①

 伊豆山神社男神立像」の謎をめぐって、あれやこれやと妄想がふくらんでゆく。
 自分で謎を作り出し、その謎について考えるなかで、喜んだり、がっかりしたり。
 毎回、同じことを繰り返して飽きない。
 自己完結的で、自家中毒的で…要するに暇つぶしの”癖(へき)”、”個疾”というものなのだろう。

 伊豆山神社男神立像」の履物や顔のほかに、「男神立像」について思いついたことを書き留めてゆく。もちろん、何の根拠もなく、私の恣意的なイメージに過ぎない。

伊豆山神社男神立像」の用材がサクラ属の木材であることについて
*これまでカツラ材とされていた用材が、2009年の調査でサクラ属であると判明している(奈良国立博物館の図録による)。このサクラ属とは「ヤマザクラ」なのだろうかとイメージしている。
 1020年代、歌人相模は、伊豆山の桜を次のように詠んでいる(『相模集全釈』から)。

234 雲かかる 山のさくらは おしなべて おもしろくこそ なかに見えけれ 相模
332 我が山の くもゐにさける 桜花 みる人ごとに あかずとぞいふ    権現の御かへり
436 いろふかく 心にしめる山桜 あかずとだれか よそにいふらむ    相模

 332の”権現の返歌”において「我が山」の「桜花」が讃えられているほどに、春の伊豆山というものが、11世紀においても現在と同じように、桜の木によって美しく彩られていたことが想像される。
(また、332の”権現の御かへり”は、まさに伊豆山神社男神立像」が詠んだ?としても違和感がない。そのために、歌人相模は実際に「男神立像」を拝していたのだろう…つい、そうした妄想が生まれてしまう。)
 
 そして、「男神立像」の材がサクラ属であり、鷲塚氏の指摘のように、それが「由緒のある霊木・神木」を用いた”御衣木(みそぎ)”であったと想定するならば、当時の伊豆山の神域には、崇敬されていた桜の巨木があったことを想像させる。「男神立像」は、その桜の巨木をもとに造像されたのではないか、と。
 このように「由緒のある霊木・神木」を用いた”御衣木”の可能性を指摘された鷲塚氏の論考は、「男神立像」の意味づけを考えるうえで、大きな手がかりになるのだと思う。
 こうした「男神立像」と”神木・霊木の可能性を持つサクラ属の木”との係わりが、何かしら存在するのかどうか、『走湯山縁起』のなかに探してゆこうと思う。

イメージ 1
桜と熱海の海(伊豆山から。2012年4月撮影)