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私の第三十四夜をつづります。

伊豆山神社の「男神立像」と『走湯山縁起』の”権現像”⑤

 『走湯山縁起』の「巻第四 雷電」の記事は、905年春から906年2月15日~3月上旬にかけての、ごく短い時間で展開し、932年5月に「伊豆守 菅原氏胤」が記したことになっている。
【註:「雷電金剛王子」の降臨後、906年3月上旬、一同が上京して上奏するくだりに「昭宣公」(藤原基経)が登場する。しかし、基経の生没年(836~891)とは時代が対応していない。読解力不足の私の理解が誤っているのだろうか…?】
 
 この「巻第四 雷電の展開は、どこか能の舞台を観るようでもあり、伊豆山での熊野信仰のあり方を、明確なシナリオで一気に書き上げたもの、という印象を持った。
 そして、巻第一~第三のように、伝承と創作がパッチワークのようにない交ぜになった記事のなかに、”権現像”の姿が随所に織り込まれた物語とは別立ての縁起譚であって、”権現像”の姿はどこにも見当たらなかった。
 その「巻第四 雷電」の舞台のシテ・ワキ・ツレのような配役(?)を抜き出すと次のようになる。

◇ 「南山熊野王子)」:雷電金剛童子。震多摩尼菩薩(如意輪観音菩薩)。905年春、「大島の浄浜」に降臨。
    【註:「東明走湯儲君」とも記されるが、その意味は不明(”走湯権現の王子”でもあるということか?)】
◇ 「漢勝」:巫覡。ちなみに「容貌美好」・「体精利敏」とある。906年2月15日、「霊神」の神勅を「龍観法師」に告げる。
◇ 「龍観法師」:天台学徒。「霊神」の容儀を見て、「本迹之真体」を拝し、「霊石」上に社壇を築き、「翠松」下に「朱殿」を構える。
◇ 「霊神」:その容儀は次のように記されている。

須臾円輪変作童形。荘厳一如天女。左持理趣経、右握理宝剣。乗九仭白龍。即時翻形示尊相。六臂具足如意輪観音也。」

 なお、熊野十二所権現の本地について、『神像 神々の心と形』(景山春樹 法政大学出版局 1990年)と『本地垂迹資料便覧』を参考にさせていただくと、以下のようになる。


   「三所                                       ~本地(伊豆山神社)~
   西御前(結宮)  千手観音     女体             「 法体          千手観音
   中御前(早玉宮薬師如来     俗体              俗体          阿弥陀如来                    
   証誠殿     阿弥陀如来   法体               女体          如意輪観音          
                                          雷電金剛童子     如意輪観音 
  五所王子                                                                        下宮:中堂権現    薬師如来   
   若宮     十一面観音   女体                    :講堂権現    千手菩薩  
   禅師宮   地蔵菩薩     俗体又は法体           根本地主白道明神   地蔵菩薩          
   聖宮     龍樹        法体                       早追権現    大威徳明王
   児宮     如意輪観音   女体                     
   子守宮   聖観音      女体                 その他の主なもの
                                             拳童子      不動明王
  四所明神                                     岩童子      弥勒菩薩
   一萬宮・十萬宮  普賢・文殊   俗体                 塔本桜童子   地蔵菩薩
   勧請十五所宮   釈迦如来                     
   飛行宮(飛行夜叉)不動明王                        
   
   米持金剛童子          毘沙門天   
   礼殿執金剛(雷電金剛童子) 弥勒菩薩    」    

 また、『神像 神々の心と形』では、熊野三山の「宮廷関係の社参」は、「宇多院」の「延喜七年(九〇八)」から始まり、12世紀前葉には熊野十二所権現本地仏が定まっていた(熊野諸神の垂迹説が平安時代後期にほぼ完成していた)とされている。
 『走湯山縁起』巻第四については、10世紀前葉の段階で、すでに本地などが定まっていたのだろうか。そして、熊野本宮大社の礼殿執金剛(雷電金剛童子)の本地が弥勒菩薩伊豆山神社雷電金剛童子如意輪観音であるなど、微妙に異なるのはなぜだろうか。こうした差異は普通にあることなのかもしれないのだけれど…。とにかく、『縁起』も「本地垂迹」も、私には混沌とした迷路のような世界だ。やれやれ。