enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

知ることの意味

 インターネットの世界を”覗く”ようになったのは、2000年か2001年頃だったろうか。日々、卓上の小さな機械から頻繁に情報を得るようになった。
 そして、私の老いつつある頭は、細切れの多様な情報で毎日混乱するようになっていった。
 どの情報を信頼し、受け入れたらよいのか。事実はどこにあるのか、正義はどこにあるのか…半径2kmの日常世界に暮らす私はいつも惑うようになった。
 ただ、そうした混乱のなかでも、私の眼と足が知る確かなこともある。
 その数少ない”確かなこと”を根拠に、メディアからあふれ出てくる発言や論評について、自分なりに、おそらく虚言であるのだろう、誤った認識なのだろう、と判断できることがあったりする。でも、それは、本当にとても少ない。
 知りたいことを、知ろうとする毎日。でも、私には”確かに知る”ことがとてもむずかしい。でも、やはり、知りたいのだ。