enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

妄想したり、涙したり。

 お正月、『相棒』を見た。時に鋭く重く心を突き刺すことのあるドラマがある。
 数年前に放送された「ボーダーライン」も、その時に受けた心の痛みの記憶が今も残っている。
(はるか…はるか昔に観た『自転車泥棒』や『シェルタリングスカイ』などの映画も同じだ。心に突き刺さった記憶をひきずり、何十年を経ても、感じ取った痛みだけはよみがえってくる。)
 
 そのドラマ・シリーズを長く見続けているからなのだろう。その仮構世界で動き回る主人公の人物像に、すっかり信頼を預けてしまっている自分がいる。
 この人だけはどんなことがあっても変節しない…という信頼感が、自分のなかにリアルに形成されてしまっていることに驚く。そして、その信頼感は今や、妄想にまで変質しつつある。たとえば、「憲法九条を守らなくてどうするのです」とささやく主人公の声が聴こえてしまう…そんな妄想。滑稽で深刻な妄想かもしれない。
 
 お正月恒例の駅伝中継も…ところどころ…見た。
 箱根からの復路では、不調に見舞われた走者もいた。彼の足元は時として揺れ惑うようだった。それでも、中継所直前で最後の力をふり絞った。そして無事に襷を次の走者に手渡した。
 カメラは直ぐに、彼が地に伏す姿を容赦なく映し出した。彼の肩は嗚咽で揺れているように見えた。タオルがそっと掛けられた。タオルの端がかすかに揺れ続けるのを見て、つい貰い泣きした。
 あとになって、彼がその後、涙を流しきって再び立ち上がり、とぼとぼと歩き始める姿を思い描いた。
 そして、私はすでに、そんなふうに身を投げ出し、溢れてくる涙を出し切る機会さえなくなっているのでは?と思った。
 自分はもう、あんなふうに泣くことがないのだとすれば、それは幸せなことなのだろうか。
 いや、やはり、まだ泣きたいのだと思った。まだ、あんなふうに泣くだけ泣いて、また立ち上がって歩き出す自分でありたい…そう思った。