enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

2015.4.2

 満開の桜の大きな樹を見続けていると、密集した花の世界に吸い込まれそうになる。静かな妖しさ、静かな狂おしさ。花の精がいるような気がしてくる。

 東京の友人のメールには、桜の写真、憲政記念館前に停車する街宣車の写真が添えられていた。
 満ち満ちた桜は繚乱し、やがて一気に不穏な風の流れに身を任せるだろう。花の香に酔ってばかりではいられない。

 先日、”我が国家”の”最高責任者”が詠んだ句
     「賃上げの 花が舞い散る 春の風」
 
彼の心臓の強靭さにはやや劣る私の句
     「値上がりの 花さきそろう 春あらし」
(本歌の「花」と「春」との重なり、展開の矛盾感をそのまま踏まえ、国民としての実感に変換した。)

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友人が携帯で送ってくれた東京の桜
 
 友人か送ってきた写真の街宣車は、特定の新聞社を標的とするステッカーでおおわれていた。一昔もふた昔も前、神保町で頻繁に見かけた街宣車の標的は、教職員の組合組織とその委員長だった。最近の国会中継で、最高責任者たる総理大臣から「日教組は…」の野次が発せられた場面があったという。政権と立場を異にするメディアへの圧力姿勢もうかがわれる。大昔の神保町一帯に鳴り響いた街宣車の大音響を思い出す。街宣車と時の政権とは、価値観、攻撃の標的などを共にするものなのだろうか。