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私の第三十四夜をつづります。

2015.9.4

  つなぎとめるものなく、あてどなく、自由。
 昔、母が繰り返し語った思い出の一つが、夏休みを過ごした塩屋のことだった。
 ”塩屋”、そして”大聖寺川”。今も私の見知らぬ土地だ。
 母の思い出のままに、その海、その川で泳ぐ少女時代の母の姿を思い描いたものだ。
 おそらく1930年前後の、日本海の浜辺で過ごした少女の夏休みの自由を。
 
  つなぎとめるものなく、あてどなく、自由。
 「誰もいなくても、全然さびしくないの。塩屋の子どもだって、泳いでいるのは男の子が一人ぐらい。妹たちはすぐ東京に帰っちゃうの。私はずっと叔母さんのところで夏じゅう一人で平気なの。全然さびしくないのよ。しまいには、叔母さんが、そろそろ帰りなさい、って。そう言われてやっと帰るくらい」

  つなぎとめるものなく、あてどなく、さびしく、自由。
 私は母ほど、まっすぐに自由ではないと思う。

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 早秋の オシロイバナの 香に惑う