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私の第三十四夜をつづります。

寄り道の覚書:源義国妻の歌


 歌人相模に関心をもちはじめてから、新しく名を知る人々が増え続けるばかりだ(みな800年以上も昔の人たちばかり…)。
 11世紀の歌人相模から、さらに時代を下って、三宮相模君の名を知り、そこからまた周辺の人々の名を知る。源義国の名も、三宮相模君から源義家へ、そして藤原有綱女へと、次々に寄り道をしながら初めて知った。
 そもそも、”軍事貴族”という言葉があるのだった。それでも、源義家に藤原有綱女という妻があったのは、歴史を知らない私にとって、やはり意外なことだった。11世紀の歌人相模の<夫>は武将ではなかったし、平安時代末の武将は、武将の家から妻を迎える…そのような時代劇風のイメージを抱いていたのだ。
 ただ、源義家の妻となった”藤原有綱女”こそ”三宮相模君”ではなかったか?という妄想が生まれてから、貴族や学者の家に育った娘が武将の妻となることを、不思議に思うことはなくなった(思い込みの激しい私の偏見?が一つ減った…)。
 なので、今回、『新編国歌大観』の歌のなかに、「源義国妻」の名を見つけても驚かなかった。そして、その「源義国妻」の歌に、言葉や書物を代々に伝えて大切に思う心を感じた。時代が大きく”武者の世”に移っても、歌は人々のよりどころであり続けたからこそ、現代の私も、膨大な数の歌の記録を目にすることができるのだと思った。
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 『詞花和歌集』(『新編国歌大観』)から
        むすめの さうし かかせける おくに かきつけける  源義国
 380  このもとに かきあつめつる ことの葉を はヽそのもりの かたみとは見よ

 【参考:『千載和歌集』(『新編国歌大観』)から
        大納言実家もとに三十六人集を返しつかはしける中に、
        故大炊御門右大臣のかきて侍りける さうしに、かきておしつけられて侍りける 
 1105  このもとに かきあつめたる ことのはを わかれし秋の かたみとぞみる

【註:
 『新編国歌大観』に収められた「このもとに~」の歌のなかに、『千載和歌集』1105の歌があった。その前半は『詞花和歌集』380の歌とほぼ重なっていた。
 『千載和歌集』1105の詞書に記された「大炊御門右大臣」は徳大寺公能、「太皇太后宮」は公能の娘・徳大寺多子、「大納言実家」は多子の弟(公能の男子)であるようだ。
 「太皇太后宮」は、『詞花和歌集』380の歌を眼にしたことがあって(?)、亡き父への思いを重ねたのだろうか。】