enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

2016.6.26

 夜半(それとも未明?)、気がつくと強い風が吹いていた。少し開けておいた出窓から、夜の風の叫びが吹き込んで、目が覚めたのだった。窓を閉め、また浅く眠った。

 夕刻になって、海に出かけた。外に出ると、道をそぞろ歩く人たちから、”休みの日”の軽やかな空気感が伝わってくる。『そうだ、今日は日曜だった…』と思った。

 浜辺は、やはり休日らしい人出のように…みな、だれかと連れだって海辺を訪れているように…見えた。すでにプレハブの更衣室も設置され、夏の海の姿に変わっていた。
 
 波打ち際もいつもの姿とは違っていた。昨夜来の強風でうち寄せられた漂着物…押し流された植物の残骸にからめ捕られたアルミ缶やペットボトルなど…で足の踏み場もなかったから。
 それでも、波打ち際では、漂着物の山を避けるように、幼い子や少年たちが遊んでいた。波打ち際から離れた浜辺では、すらりとした数人の少女たちが輪をつくって座っていた。
 
 波に洗われるおびただしい漂着物を眺めているうちに、これまで波の間を長く漂っていたモノたちが、再び海に戻ってしまうのを見過ごしていいのだろうか、という思いにとらわれてしまった。
 波の音を聴くことはあきらめた。そして、少し迷ったあと、それらのモノたちが海に戻らないよう、場所を移そうと決心した。幸い(?)に漂着物のなかに、大きな袋があった。その袋を使って、缶とボトルを浜辺の高いところに運び移すことを繰り返した。結果、浜辺には、アルミ缶やペットボトルの小山ができた。波打ち際の缶とボトルの量が減った分だけ、浜辺の小山が大きくなっていった。
 
 私のささやかな”移動作業”に対し、漂着物は圧倒的な量で対抗してきた。浅はかな決心で始めた”移動作業”を続けるうちに、”シジフォス”の名を思い出した。
 私は早くも疲れてあきらめようとしている…そう感じた。少女たちが立ち上がり、ゆっくりと帰って行く姿が目に入った。彼女たちが立ち去ったあとの窪みには、飲み終わったばかりの真新しい缶とボトル、食べ終わったゴミを入れたレジ袋が置かれていた。それらのゴミの量はごく小さかったのだ。それに対し、私が浜辺に作ったゴミの山は見苦しいほど大きかった。申し訳ない気持ち、そして空しく情けない気持ちになった。自業自得なのだった。
 
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”なぎさプロムナード”の小さな虫(蝶・蛾の幼虫?)と花(ネジバナ?)…空しさのない生命。