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私の第三十四夜をつづります。

海、富士山、そしてダンマパダ

 

22日、”富士山に初冠雪”と聞いた。
翌日、澄んだ空が広がった。
『海から富士山を見なくては…』と思った。

晴れやかな海岸通りには金木犀の香りがあった(気管支まで反応するほどに)。

台風のあとの浜辺には、積み藁状の漂着物の塊りが点々と連なっている。
砂丘も明らかに形を変えていた。
そうした嵐の名残りをとどめる浜辺とは対照的に、西空には富士山が白くまぶしく輝く。何事も無かったかのように。
弧を描く波打ち際には釣り人たちの姿。大島の島影も静かだ。

 

富士山の白い雪をを何度も見返し、海辺を離れる。
家に戻り、吸入薬で気管支のざわつきを鎮めてから、鶴見に出かける。

その日の講義のなかでは、まったく偶然に、本題(仏教美術)以外の言葉を目にすることになった。そしてドキッとするような強い印象を受けた。その言葉は、こんな内容だった。

「学ぶことの少ない人は、牛のように老いる。 
 彼の肉は増えるが、彼の知恵は増えない。」

帰宅して調べると、それは”『ダンマパダ』(『法句経』)”という仏典の中の一つの言葉だと知った。

一瞬目にしただけの言葉だったけれど、「老いる」ことを切実に実感する今の自分には、見過ごせない言葉だった。

ここで「学ぶ」とは何を意味しているのか、明確には分からない。それでも、この言葉を知った時点から、「学ぶ」…単純な意味でも…努力を始めることはできるのかもしれない。
できれば、少しでも、「知恵」…これもまた、何を意味するのか分からないけれど、単純な意味で…を身につけて老いてゆきたいから。

 

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               10月23日の空  

               10月23日の富士山

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               雪のように白い波跡①    

               雪のように白い波跡② 

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増えるが、かれの知慧は増えない。大島えない。。

学ぶことの少ない人は、牛のように老いる。かれの肉は増えるが、かれの知慧は増えない。学ぶことの少ない人は、牛のように老いる。かれの肉は増えるが、かれ