enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

相模国府

六ノ域遺跡第20地点とは?

17日、「第46回 神奈川県遺跡調査・研究発表会」に出かけ、県内各地の新しい調査結果を聴くことができた(コロナ禍を経て、県考古学会の活動に久しぶりに参加できたことが嬉しかった)。 なかでも平塚市・六ノ域遺跡第20地点について、2年前の現地見学会以来…

メモ(3):「春」墨書土器のまとめ。

真田・北金目遺跡群の「高大長」須恵器墨書土器について、高座郡大領が係わる可能性を思いついてメモ書きしたあと、『当時の高座郡大領が、郡領域を越えて、わざわざ大住郡…余綾郡の可能性も?…での祭祀に係る可能性はあるだろうか?』と自問した(やはり、…

メモ(2):真田・北金目遺跡群と構之内遺跡の皇朝十二銭出土。

【個人的map:真田・北金目遺跡群】 <註>4区「高大長」墨書土器は、4区の西側に隣接する1区の出土資料と接合したもの。上図では”4区出土資料”として記載した。 【個人的map:構之内遺跡】 今回、皇朝十二銭の出土にまつわる私の妄想は、高座郡家を経て真田…

メモ(1):「皇朝十二銭」の出土年代。

今回、次の表をまとめた際に、高座郡家・七堂伽藍跡と平塚市内での皇朝十二銭の出土の背景に、当該地域(高座郡や大住郡)の大領クラスの人々の活動があるのでは?と想像した。 【個人的table]:平塚市および茅ヶ崎市(「高座郡家」周辺)から出土した皇朝十…

メモ:七ノ域遺跡第3地点

平塚市博物館夏季特別展を観て刺激を受け、「白釉緑彩埦」が出土した”七ノ域遺跡第3地点”についておさらいしてみた。(発掘調査報告〔『七ノ域-第3・5地点-』2009年 平塚市教育委員会〕をもとに、次の通り、簡略なメモをまとめた。) ~七ノ域遺跡第3地点…

メモ(個人的イメージmap):七ノ域遺跡と周辺遺跡の大型掘立柱建物

【七ノ域遺跡とその周辺遺跡について】 七ノ域遺跡は、相模国府域の北辺中央部に位置する。その主な出土資料として、「石」墨書土器〈第1地点〉、「安宗太田部万呂▢伏」墨書土器・鉄製錠前(長さ19.4㎝の鍵)〈第2地点〉、白釉緑彩埦・「木」墨書土器〈第3地…

”「カラフルな考古資料たち」を楽しむ“

5日、平塚市博物館の夏季特別展を見学し、展示解説を聴いた。 で、こうした解説を聴くのは、たいていは大人たちなのだ…しかも、私のような”高齢者”が多かったりする…。今回の特別展のタイトルに冠された「茶色ばっかりじゃないんだぞ!」の言葉が、夏休みの…

砂丘上の古墳群と国府域

≪map:相模国府域周辺の古墳・古塚・周溝墓≫ ● 古墳・古塚・周溝墓(出典:『平塚市史 11 上 別編考古(1)』1999年 平塚市博物館市史編さん担当、ほか) _____________________________________ 1997年、平塚市博物館…

墨書・刻書土器から見る”相模国府と大住郡の活動域”

≪map:墨書・刻書土器から見る”相模国府と大住郡の活動域”≫〔左クリックで少し拡大されます。以下同様〕 〔註〕図中で破線 ----- ・点線 …… で示したルートは、あくまでも”個人的な妄想”によるものです。(「古代東海道」の西延長ルートは、構之内遺跡第3地…

高林寺遺跡第7・第9地点の区画溝の”可能性”

≪map:高林寺遺跡第7・第9地点の区画溝の周辺≫ 高林寺遺跡第7・第9地点の区画溝について、2年前の『enonaiehon』では次のようにおさらいし、要約している。 「…この区画溝の解釈については、①1988・1990年の報告書で”8c中葉~10c前半の相模国庁区画溝”…

『相模武士団』(関 幸彦編 吉川弘文館 2017年)のなかの一節

2日、図書館で『相模武士団』(関幸彦編 吉川弘文館 2017年)の「保元・平治の乱と相模武士」(川合 康)の一節を読んだ。 その論考の中に、相模国府移遷の時期とその要因について、以下のように言及されていたので、抜粋・引用し、備忘録として残しておきた…

追記:「成事智院」(高瀬慎吾)から

1983年、高瀬慎吾氏は「成事智院」と題したコラム(『広報ひらつか』№378 1月号 1983年1月15日発行)も書かれているので、そこから短く抜粋・引用して載せておこうと思う。____________________________________ 成事智…

追記:「實雄法印の塔」(高瀬慎吾) から

今回、「八幡別当 成事智院」について復習した機会に、高瀬慎吾氏(1900~1991)のコラム(『広報ひらつか』№186 4月号 1967年4月15日発行)も、ここに抜粋・引用しておきたい。____________________________________ 新…

追記:『平塚市史』による「成事智院蹟」

これまで、11~12世紀の相模国府の景観を思い描くなかで、12世紀代の八幡宮を相模国府中枢域の「八幡」の地に置いてイメージしてきた。そして、その「八幡」の地(上高間)にあった「八幡別当 成事智院」が、1609年、現在の平塚八幡宮の地(旧・八幡新宿)に…

『廻国雑記』の「八幡といへる里」前後のルートについて

平塚の八幡の当初の位置について考えてきたことをおさらいしたあと、『廻国雑記』での道興准后の相模国通過ルートを、図書館の『日本歴史地名大系 神奈川県の地名』(1984年 平凡社)などで調べ直してみた。現時点で気になったことをメモしておこうと思う。 …

あらためて ”平塚八幡宮と八幡” について

25日午後、平塚市史 刊行記念 講演会(「お寺と神社からみた平塚の歴史」)に出かけ、お二人の講師(菅原昭英氏、鈴木建人氏)による講演、館長や講師陣のディスカッションを聴いた。 詳細で具体的な資料とエネルギッシュでわかりやすい語り口に思わず引き込…

メモ:緑釉秋草文陶硯(梶谷原A遺跡)と「国厨」墨書土器(東中原G遺跡)

図書館や博物館に通う気力や物事を記憶する力が衰え、”相模国府の考古学”についてのアンテナが錆びれる一方となっている。郷土の考古学情報は、自ら不断に探し求めなければならないのだと反省する。 今回も、近年の調査報告などから得た情報(特殊遺物など)…

メモ:相模国府域内:飛雲文軒平瓦・単弁六葉蓮華文軒丸瓦 出土地点

2月26日の現地見学会、その後、4月の速報展で眼にした”六ノ域遺跡第20地点出土の珠文縁飛雲文軒平瓦”について調べるなかで、相模国府域内の「飛雲文軒平瓦」と「単弁六葉蓮華文軒丸瓦」の出土について、メモをまとめた。 ~疑問点~・両者はなぜ国府中枢域で…

発掘速報展:六ノ域遺跡第20地点

先月3月20日、平塚市博物館春季特別展『掘り起こされた平塚Ⅳ-姿をあらわす遺跡たち-』に出かけ、昨日は再び、その会場に足を運んだ。(考古分野として実に久しぶりの特別展は、これまでにない新鮮な見せ方で展開していた。おかげで、干からびて蜘蛛の巣が…

六ノ域遺跡第20地点

六ノ域遺跡第20地点の現場(西側から):右手(現場の南辺)で説明する方はSI20の遺構上に立っている。1辺10m余の巨大な竪穴住居址であるという。浴槽ほどの大きさの柱穴から建ちあがる柱とそれらが支える上屋の構造がどのようなものになるのか、想像もつ…

再び発掘調査現場へ。

19日、友人からの電話で、諏訪前B遺跡の発掘調査が東側へと進んでいることを知った。梅雨明けとともに胃の不調がぶり返していたけれども、夕方を待って現場をめざした。 諏訪前B遺跡では、まさに作業が終わったところだった。確かに、東側部分の新たな現場…

相模国府域を通る古代の道

7月に入って、全くの自由時間というものを1週間ほど味わうことになった。日々の家事から解放された幸せな日々…11c代の相模国府についての雑多な妄想を、テーブル一面に広げて過ごした。 そのなかで、11世紀の歌人相模が走湯権現に参詣した1024年、彼女が…

高林寺遺跡第7・第9地点の区画溝について

高林寺遺跡第7・第9地点の現在(2021年6月10日) 発掘調査中の諏訪前B遺跡の現場から129号線をはさんで東隣には、高林寺遺跡第7・第9地点が位置する。 考古学を学習し始めてから、この地点の報告書を随分と時間をかけて眺め直してきた。しかし、図版を…

稲荷前A遺跡第4地点~諏訪前B遺跡の調査~高林寺遺跡のこと②

10日の午後、諏訪前B遺跡をめざした。調査中の現場を「私的に覗く」のは、いつも疾しい気がする。撮影する際にはなるべく差し障りのないように撮っているけれど…。 調査中の現場 この現場まで(治療中の股関節周りを酷使しないよう)バスに乗った。帰りは、…

稲荷前A遺跡第4地点~諏訪前B遺跡の調査~高林寺遺跡のこと①

先日、本を借りに図書館へ行き、久しぶりに参考室に立ち寄った。何か新しい調査報告書は出ているだろうか?と書棚を眺める。『稲荷前A遺跡-第4地点-』(2018年 平塚市教育委員会)が目についた。 以前、すでに手に取ったことがあるのか、初めて見るのか、…

前鳥神社蔵の素弁蓮華紋軒丸瓦のこと。

相模国府について学んでいた頃、市内で発掘・調査されたさまざまな遺構や遺物の性格・背景について、あれこれ想像(妄想)して飽きなかった。 来る日も来る日も、妄想していた。『平塚市史 別編 考古』の抜刷をヨレヨレになるまで使い込んだ。さまざまな資料…

相模国司 菅野真道

今夏、『渡来人と帰化人』(田中史生 KADOKAWA 2019年)を読んだ。これまで、”渡来人”という用語に抱くイメージは、エキゾチックで謎めいた、そして捉えどころのないものだった。 ただ、”相模国府”の歴史を学んでいた頃は、その”渡来人”の足跡”というものが…

「稲荷前A遺跡第4地点」~その第4砂丘列東端上の位置~

猛暑がようやく衰えはじめた24日、「第8回平塚市遺跡調査・研究発表会」が開かれ、私も参加した。また、同時開催の「平塚の遺跡ー近年の発掘調査成果ー」(平塚市博物館)で展示された出土遺物も見学した。 今回、その出土遺物展示のなかで、国府域中枢地区…

「平塚城跡 第2地点」の調査報告を聞いて

4月20日、旅から帰ると、その日は、「平塚城跡 第2地点」の現地説明会が開催された日だった。 数日後、資料だけでもと、電話をすると、現場(平塚農業高校)まで取りに来れますか?とのことだった。 細かい雨が降るなか、ちょっと長めの散歩のつもりで出かけ…

「凡人部豊子丸」とは?

8月26日、第6回平塚市遺跡調査・研究発表会に参加した。 (地元の遺跡の発表会が開始されてからすでに6回。今は、夏の終わりの楽しみになっている。) 今回はとくに相模国府域の中枢遺跡の調査成果が並び、それぞれの遺跡にまた新たな謎が加わった。 (遺跡…