平塚の八幡の当初の位置について考えてきたことをおさらいしたあと、『廻国雑記』での道興准后の相模国通過ルートを、図書館の『日本歴史地名大系 神奈川県の地名』(1984年 平凡社)などで調べ直してみた。
現時点で気になったことをメモしておこうと思う。
【道興准后『廻国雑記』の相模国通過ルート】
①武蔵国から相模国(鎌倉~金沢~藤沢)を経て小田原に向かうルート
「藤沢の道場」(藤沢市:清浄光寺)
「花水川」(平塚市~大磯町)
「大磯の宿」(大磯町? 平塚市山下?:「古へ虎といひたる好色の住みける所」)
「鴫たつ沢」(大磯町)
「梅沢の里」(二宮町)
「まりこ川」(小田原市:酒匂川)
「小田原」(小田原市)
「早川の浦」(小田原市)
「風祭の里」(小田原市)
「箱根山」(静岡県~神奈川県)
「あしがら山」(静岡県小山町~神奈川県南足柄市)
「やまびこ山」(小田原市曽我別所)
「鞠子川」(小田原市:酒匂川)
「八幡といへる里」(平塚市)
「剣沢」(小田原市曽我谷津)
「蓑笠の森」(中井町井ノ口)
「ふたつはし」・「大山寺」(伊勢原市)
「霊山といふ寺」・「日向寺」(伊勢原市)
「小野」(厚木市小野? 町田市小野路町?)
「半沢」(町田市?)
「霞の関」(多摩市関戸)
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①では平塚を通り過ぎた道興准后は、②では足柄峠越えのあと、酒匂川を渡り、「「八幡といへる里」を経て大山寺・霊山寺を参詣後、武蔵国へと向かっているようだ。
まだ同定できていなかった地名については今日、図書館で地名辞典を調べてみた。
また、2005年に考古学のサークルで歩いた「東山道武蔵道」の資料・地形図や、手持ちの「大山道」のルート図などを見直すことで、およその道筋をたどることができるようになった。
ただ、およその道筋が見えてきた一方で、肝心の②の「八幡といへる里」前後の地点の順序に疑問が出てきた。
つまり、「蓑笠の森」(中井町井ノ口)を経た道興准后は、そこから秦野市を経て「ふたつはし」・「大山寺」(伊勢原市)へと北上したのではなく、そのまま東進して平塚市土屋から「八幡といへる里」に向かい、そこから改めて伊勢原へと北上したのではないか?という疑問だ。
なお、「やまびこ山」(小田原市曽我別所)⇒「鞠子川」(小田原市:酒匂川)⇒「剣沢」(小田原市曽我谷津)⇒「剣沢」(小田原市曽我谷津) の順序にも不自然さがあるようだ。
もし『廻国雑記』に残された順序より、今回の地点の同定のほうが正しいのであれば、実際の順序は 👇 のようなものではなかったろうか?
「あしがら山」(静岡県小山町~神奈川県南足柄市)
「鞠子川」(小田原市:酒匂川)
「剣沢」(小田原市曽我谷津)~「やまびこ山」(小田原市曽我別所)
「蓑笠の森」(中井町井ノ口)
「八幡といへる里」(平塚市)
「ふたつはし」・「大山寺」(伊勢原市)
「霊山といふ寺」・「日向寺」(伊勢原市)
「小野」(厚木市小野? 町田市小野路町?)
「半沢」(町田市?)
「霞の関」(多摩市関戸)
このルートであれば、「八幡といへる里」(平塚市)から直接伊勢原に向かうことになり、中井町井ノ口に逆戻りする不自然さが解消するようだ。
おそらく、『廻国雑記』の実際のルートについては、すでに検討・研究が終わっているのだろうと思う。いつか、それを知り得る機会があれば嬉しい。