発表会の前に、まず出土品の展示を見学した。どの発表会でも、出土資料を見るのは大きな楽しみだ。精選された資料のなかでも、見慣れない文様の古代瓦が出土している調査地点が印象に残った。
その「酒匂北中宿遺跡第Ⅵ地点」は、酒匂川左岸の河口近く、旧東海道上に位置しているようだった。海岸から300mほどの地点で軒丸瓦が出土することに興味を感じた。
(海岸から300mといえば、平塚では浜から上がって直ぐの国道134号線近くで、まさに浜辺といってよい地点だ。平塚では海岸から1㎞ほど離れて、JR東海道線付近でようやく古代の遺跡がわずかに認められるようになる。帰宅後、この「酒匂北中宿遺跡第Ⅵ地点」について調べると、旧東海道沿いの”川辺本陣”の跡地と分かった。)
発表では限られた時間のため、その古代瓦について詳しくは分からなかった。幸い、その後の展示解説時間で、発表者のかたに直接うかがうことができた。素人の私が理解した範囲での要点は次の通りだ(私の知識での見聞では、「らしい」の限定がついてしまうのだが)。
*本地点の瓦(発表要旨では、”南多摩窯址群・御殿山71号窯製品”の”六葉単弁蓮華文”とあるけれど、発表では一瞬、”素縁素弁”と聞いたような?)と同じ文様の軒丸瓦の出土は、神奈川県内で3例あること
*①と②とは同笵である(らしい)こと
*本地点の瓦は、①の千代寺院跡出土の瓦の中では、最終段階の瓦であること。その年代は9世紀後半~10世紀前半におさまる(らしい)こと
*本地点の竪穴建物は9世紀後半の年代があてられていること、その竪穴建物を切る掘立柱建物は9世紀後半以降と推定できること
*本地点の瓦は小片の限られた出土であること、中世と推定される溝状遺構から出土していることから、掘立柱建物群と関連づけることはむずかしいこと
(ただ、あくまでも想定の一つとして、”筥荷途”に係るような交通関連施設という可能性もあるのではないか、ということ)
以上が私の理解力で一生懸命に把握した要点なのだが、ここで”筥荷途”という言葉が出てくることは予想もしなかった。仮に、10世紀前後に、この地点付近を通る”筥荷途”があったならば、そのルートはおそらく早川までは、歌人相模の走湯参詣想定ルートにも重なるものだ。
もちろん、道路遺構などもまったく出ていない…それは旧東海道の真下にでも眠っているのだろうか…”筥荷途”の言葉から、次々と妄想が広がってゆく発表会となった。
かもめ図書館近くの紅葉