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私の第三十四夜をつづります。

走湯参詣ルート10  伊豆山神社から”日金峰”へ

 まだ桜が咲き残る4月7日、海沿いの走湯参詣ルートの一部(湯河原~熱海)を歩いてみた。
 そして、貴族女性が「かかるついでにゆかしき所見むとて…」と参詣を思い立つにふさわしく、比較的に容易なルートであることを確かめることができた。
平安時代の11世紀に、この海沿いの道が走湯参詣ルートとして利用されていたことの確証は依然として見つからないけれど。)
 
 続いて、5月12日、伊豆山神社から、その旧地とされる”本宮山”、”日金峰”を訪ねて、初夏の山道を歩いてみた。
 行程は、伊豆山神社(地形図では標高約175m)、白山神社(標高約300m)、本宮神社(標高約390m)、岩戸山(734m)を経て、東光寺(標高約705m)に至った。東光寺からの帰りは、北東方向の湯河原町宮上(落合橋付近)に向かうハイキングコースを降りてみた。
 
 歌人相模が、もし箱根山ルートを採ったならば、おそらく小田原から早川沿いに箱根湯本へ向かい、”湯坂道”をなぞるように鷹巣山(標高834m)を越え、(箱根権現には参詣せずに?)箱根峠(標高約850m)から十国峠(標高約770m)へと下り、旧伊豆山神社跡地を経るコースを通って、伊豆山神社(標高約175m)へと降りたはずだ。
 
 今回、その伊豆山神社へと下るルートの一部を逆にたどりながら、歌人相模の姿を想像せずにはいられなかった。そして、やはり、箱根山を越える参詣ルートは選ばなかっただろうと思った。下へ下へと降りてゆく参詣路は、祈りの形として似つかわしくないのでは…と単純に違和感を覚えるのだ。
 私はまだ、その遠回りで、かつ難儀であろう箱根山ルートを歩いてはいない。しかし、4月、5月と、湯河原~伊豆山神社~日金山東光寺へと歩くなかで、その海沿いルートの想定を反省するような材料は見つからなかった。
 11世紀に、小田原と熱海を結ぶ生活道路が存在していたならば、歌人相模は、その道をなぞって走湯権現をめざしただろうとの思いが深まった。
 
 
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本宮神社(本宮社)の鳥居
 
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岩戸山山頂
 
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岩戸山山頂から伊豆の海を望む
 
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日金山東光寺前の石塔