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私の第三十四夜をつづります。

『閑谷集』のなかの「伊豆山」(2)

 『閑谷集』のなかで、「伊豆山」にかかわる歌には次のものがある。
(『新編国歌大観 第七巻 私家集編 Ⅲ』(角川書店 1988年)の「閑谷集」から引用させていただく。)
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「伊豆山にのぼりて侍りけるに、みやこにて あひしれる人おやまに すむよしをききて、たづねあひて、なにとなきことども申してあそびけるに、はかなきほどのものを あながちに かくしければ、かへりて後 遣しける
 46 いにしへは さも磯なれし 身なれども などあさりして かひなかるらん
返し
 47 かひなしと うらみなはてそ 心ざし ありそのうみを なほもたづねよ 」
 
「あひしれる人の いづのやまに はべりけるが ふみをかりて おそくかへしければ、たづねに つかはしたりければ、ふみをかへすとて、つつみたるかみに かきつけて おこせたりける
 139 ふみわけて かりてひさしく 成りぬれば みだれやはすらむ まののかやはら
かへし
 140 みだれしも 思ひぞなほす かるかやの くちぬをきみが なさけにはして
また、さきには これをつかはさんとしけるを、人人はしたなしと申しければ思ひとまれるを、かく申さでとおぼえける
 141 かりちらす 人の心の秋かぜに さもぞみだれし まののかやはら 」
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 作者と伊豆山(おやま)に住む“都で知り合った人”との間に交わされた4647140141の歌を読み、最も関心を持ったのが、その詞書の「伊豆山にのぼりて侍りけるに」という記述だった。
 作者は1185年から、駿河国「おほはた」に粗末な草庵をむすんで暮らし始めた。その地を現在の裾野市大畑付近に比定するならば、裾野市大畑から伊豆山に“のぼる”最短ルートとしては、三島市大場付近から函南町軽井沢付近を抜け、熱海峠に至る道が想定できると思う。
熱海峠から先は、①そのまま熱海に下るルートをとって海沿いに伊豆山に向かうか、②日金山(現・東光寺付近)~岩戸山ルートの途中で土沢に下って伊豆山に向かうか、の二通りの行程が考えられそうに思う。
(伊豆山にのぼらずに、直接的に“下る”とすれは、②の日金山~岩戸山ルートを進み、現・本宮神社へと下って、“おやま”の背後から現・伊豆山神社に至る行程があり得るかもしれないのだが、参詣という趣旨にはふさわしくないように感じること、また何よりも、詞書に「伊豆山にのぼりて侍りけるに」とあるので、この行程は想定しない。歌人相模の走湯権現参詣を海岸ルートと想定するのも、走湯権現の背後からの参詣…箱根峠越えルート…が、参詣という趣旨や歌の内容などからも想定できないからだ。)