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私の第三十四夜をつづります。

『閑谷集』のなかの「伊豆山」(3)

 『閑谷集』を乏しい読解力で読み進みながら、伊豆山への参詣路についての興味のほかに、とりとめなく感じたことを書きとめておこうと思う。
◆作者自身について◆
*気持ちのすれ違いを恨む人
 4647の歌のやり取りからは、“伊豆山に住む知人”(彼も出家僧だろうか)を訪ねて旧交を温めた際の、彼我の気持ちに微妙な温度差があったことが感じ取れる。当時、出家僧が俗人と同じように、他者への期待や不満を持つことがあったとしても、それを歌に詠み遺すことは普通のことだったのだろうか。
 46歌人相模の歌、47走湯権現僧の返歌に重ねることができそうに思えた。伊豆山の知人は作者より年長なのだろうか。
 
*きちんとしない人を責める人
 139140141の一連の歌から、モノの貸し借りを巡って、“伊豆山に住む知人”の鷹揚な性格(相手にとっては大雑把な性格)と、作者の几帳面な性格(相手にとっては面倒な性格)が感じ取れる。
 しかも、伊豆山の知人は返却の遅れという負い目を逆転させ、作者をからかうような歌に代えている。伊豆山の知人の姿勢に、“うわて”の余裕を感じる。作者は腹立たしさを抑えながらも、歌の通りそのままに、心をかき乱されている。1190年前後の時期の歌と推定して、作者はまだ青年僧というような年齢だったのだろうか。
 
*「修羅」の心を恥じる人
 これらの歌に続いて、“伊豆の知人との葛藤”から派生したように想像させる歌が、もう一首詠まれている。
「十界といふものあり、心あるものの つみのありなしに したがひて むまるるところなり、さらに このほかをいづることなし、そのこころをよめる」という詞書のもとに、十首(142151)が連なるなかの三首目だ。
「    修羅
145 あさましや くるしきうみの あらいそに いさかひをのみ ひろひけるかな 」
 
 こうした歌を読み進めながら、12世紀末という時代に生きた出家僧が、今に生きる市井の人々と同じように、日々、心を波立たせながら暮らしていたことに、親しみを感じた。そして、人間にとって歌が果たす役割というものは何か、また、歌や日記、小説・物語という表現の場を必要とするのは、人間だけなのだ…そんなことを改めて考えさせられた。