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私の第三十四夜をつづります。

走湯参詣ルート6 湯河原から熱海へ-海沿いの”山の中の道”

 2年前の4月、歌人相模の走湯参詣は、海岸伝いの道を辿ったのではないかとの想定で、早川に出かけた。その時に考えたことは次の通りだ。
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2012年4月18日【早川へ】
 伊豆山に続いて、早川の地を訪ねた。 大江公資の早川牧、後の早川庄へと繋がる地域・・・机上では、現在の早川駅周辺も早川牧に含まれる地域と想定していた。しかし、駅周辺の地形は、海岸からほどなく山が迫り立っている。伊豆山の景観にも似て、波と風が浜を削り、いつかは高波が山へと駆け上りそうな海岸線。平安時代、仮に浜辺伝いに古代道が通じていたとしても、一千年の時間のなかで波の下に消えたことだろう。
 そして、現在の真福寺紀伊神社も、海から後ずさりして山に食い込むような姿で建つ。万寿元(1024)年開山、藤原時代の聖観世音菩薩像を残すとされる真福寺と、平安時代末期の経塚遺物を出土する紀伊神社を結んで、細い古道が通る。この山の麓の古道は、平安時代まで遡るのか。更に11世紀代の神像が伝わる伊豆山神社までどのような道筋を辿るのだろうか。想定途上の”歌人相模の道:海沿いルート”は、この海岸線に沿った山の中で探っていくことになるのだろう。
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 「山の中で探っていく」と記してから2年ぶりの昨日、一日をかけて、湯河原駅から熱海駅まで歩いた。目的は、熱海市千歳川河口付近から伊豆山神社まで(直線距離約4㎞)、現在の”山の中の道”を歩くことだった。
(地形図を眺めての印象では、平塚から伊豆山神社までの海沿いルートとして最も困難な道程は、①小田原市石橋~真鶴町区間、②熱海市内の区間、と思われる。まずは、伊豆山神社に最も近い②の区間から歩くことにした。)
 結果は、
 1)直線距離2.5㎞の稲村(大洞台バス停付近)までは”山の中の道”を辿り、その先の直線距離1.0㎞は国道・県道などを歩いた。
 2)伊豆山神社で「湯河原と伊豆山神社を結ぶ「かまくらみち」(註)と呼ばれるルートがあり、現在寸断されている」と聞いた。
(今回歩いた”山の中の道”が、その「かまくらみち」と一致している部分があるかどうかは確認できていない。)
 
 (註) 
 *「かまくらみち」と呼ばれるルートは「伊豆山神社の東から鳴沢川を渡って湯河原方面へ向かう」とも聞いた。今回歩いた国道・県道部分に代わる”山の中の道”があるのだろう。
 鎌倉幕府の二所詣ルートとして、「鎌倉→【熱海・箱根参詣】か【熱海・箱根・三島参詣】→鎌倉」を考える時、【二社・三社の参詣順序】によって、そのルートもさまざまに想定できそうだ。
(ただし、11世紀前半の歌人相模の走湯参詣ルートは、あくまでも伊豆山神社一社をめざしたと思う。)
 *伊豆山神社下の説明板の『熱海之絵図』(一部)に「小田原道」の文字があった。その道は海辺の鳴沢の集落へと向かっている。近世(18世紀半ば)には、少なくとも鳴沢の集落を通るようだ。
 *なお、今回、国道(稲村附近)に降りずに七尾峠に向かうルートは、”湯河原門川-岩戸山-(日金山-)十国峠”ハイキングコースに合流している。このルートも鎌倉時代までさかのぼるのだろうか。
 *今後、機会があれば、熱海市の文献で、湯河原と熱海を結ぶ「かまくらみち」について調べてみたい。
 
潮音寺の上付近から(湯河原町と海岸線)イメージ 1
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 4            
郷清水バス停の上付近から(国道135号線初島・大島)
 
標高176mイメージ 2地点に近い山道(東伊豆山と稲村の中間付近)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 3
 1758年当時の「小田原道」が載る説明版(『熱海之絵図』一部)
現在」が示している地点は、現在の伊豆山神社前バス停付近。絵図の左手は伊豆山神社(横向き)。「現在地」のの右に「小田原道」の文字。細い道が、S字形で絵図の上の「稲村」へとのびている。絵図の右手には伊豆山方向に向かって押し寄せる波が描かれている。