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私の第三十四夜をつづります。

「湯坂路」(1)

  14日、箱根の「湯坂路」を歩いた。小田原駅でバスに乗り、六道地蔵(精進池)でバスを降り、湯坂路入口まで戻り、そこから鷹巣山浅間山を経て、湯本へと下りる行程だ。
この行程は、『神奈川の古代道』(藤沢市教育委員会 博物館建設準備担当 1997)で、「筥荷途?」とされているルートの西半の一部にあたる。
つまり、『延喜式』による復原駅路(東海道)上の国府津(小総駅)から分かれて、相模湾沿いに酒匂川を渡り、早川沿いに風祭を経て、湯本~浅間山鷹巣山~元箱根~箱根峠へと向かうルートの一部でもある。
 これまでも、サークルの仲間たちと遺跡を巡りながら、こうした古道を何回か訪ねてきた。
 19971999年、足柄峠、箱根峠、海老名国分寺までの古道を歩いた。
2000~2003年にかけては、古代東海道(走水足柄峠)を歩いた。
20042005年は、武蔵国府までを歩いた。
2012年からは、自分なりに11世紀初頭の歌人相模の日向薬師参詣路、そして走湯参詣路を探しはじめた。そのなかで、改めて「湯坂路」に関心を持った。
歌人相模が走湯参詣時に、仮に(あくまでも仮に…)箱根を越えて熱海・伊豆山に向かった場合、そのルートはこの「筥荷途?」・「湯坂路」である可能性が考えられるからだ。9世紀初頭(延暦2122年)時点での「筥荷途?」が、11世紀代にも使われていたならば、それはそのまま、源頼朝の二所詣ルート、鎌倉古道として引き継がれてゆくことになる。
一方、歌人相模の走湯参詣路を海沿いルートと想定する私にとって、迂回的な「筥荷途?」・「湯坂路」は歌人相模が採ったルートには当たらないと考えている。といっても、やはり「筥荷途?」・「湯坂路」とはどのような古道なのか、自分の足で確かめなくてはならない。そして、冷え込んだ14日朝、「湯坂路」の一部を実際に歩くことになった。
その印象は、江戸時代の旧東海道よりは平易な道のようだ、という雑駁なものだった。
そして、箱根越えだけの目的、あるいは箱根権現を経てから走湯権現に向かう目的であれば、歌人相模も、この「筥荷途?」・「湯坂路」を選んだ可能性があったかもしれない…そんな風にも感じた。また今回、「筥荷途?」・「湯坂路」はどのように使われてきた道なのだろう、と改めて興味を持った。
 
「湯坂路」-精進池
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「湯坂路」-精進池の裏山の上にかかる下弦の月
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鷹巣山までの「湯坂路」
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「湯坂路」から見る大山-右手には相模湾も望めたイメージ 4