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私の第三十四夜をつづります。

「湯坂路」(2)

  今回、紅葉の季節の晴れた日を選んで「湯坂路」に向かった。尾根歩きを楽しみつつ、一つ疑問に感じたことがあった。それは“石畳”についてだった。
鷹巣山を越えてから、その石畳の道が始まったと思う。石畳の縁の肩線が残り、しっかりと組まれて苔むしたようすは、丁寧に作られたもののように思えた。
『わざわざ、ぬかるみを避けるために敷いたのだろうか。
 いつの時代に作られたものだろう。
 最近、伊勢原で見学した中世の道路(伊勢原市163遺跡:石敷き道路状遺構)とは似てい   ない。旧東海道の石畳とも違うようだし…』そんなことを思いながら歩いた。
その石畳は、浅間山を過ぎてからは、より新しい、歩きにくいものに変わっていった。同時に、ところどころで標石が目につくようになる。「〒」「→」「百米」「逓信省」「地下線」などの記号や文字が読み取れる。
帰宅後、石畳についてネットで調べてみた。「湯坂路」の地下に埋設された電線(地下線)を守るために作られた石畳、といった記事もあった。
 あの新しい、歩きにくい石畳は、点在する標石と関係があるものなのかもしれない。
 心細い山道で、ふと標石に出会った時、人の活動の痕跡を感じて嬉しくなる。この「湯坂路」は行き交う人の多いハイキングコースではあったけれど、年代不明の石畳と点在する標石が、長い下り坂の道連れになってくれた。
 
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浅間山をめざし、鷹巣山を下りながら振り返る(左手が階段状、右手が石畳状の道)
 
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 湯本への長い下り坂に点在する標石の一つ(かつて逓信省が設置したもの?)