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私の第三十四夜をつづります。

「湯坂路」(3)

精進池でバスを降り、「湯坂路 (鎌倉古道)」入口を9時過ぎにスタートして、前半は木の葉の色づき、道端の花や蝶、梢の鳥の声に気を取られながら歩いた。後半の長い下り坂は、新しい石畳に足をもたつかせながら歩いた。
ようやく湯本側の「湯坂山登山道入口」にたどり着いた。13時頃に着く予定が、すでに14時半を過ぎていた。
 
湯本駅に向かおうとして、持ち歩いた地形図を見返すと、鉛筆で書き込んだ「正眼寺」という文字が目に入った。しかし、何のためにわざわざ書き込んでおいたものなのか、自分ですでに分からなくなっている。情けない頭になった。下調べもせずに漠然と出かけてきたことを後悔したが、とにかく、この機会に訪ねておこうと「正眼寺」に向かう。
早川と須雲川の橋を渡る。かなり急な坂の上に正眼寺はあった。寺の裏山にひっそりと建つ蘇我堂から望む山塊が、先ほど歩いてきた湯坂山のようだ。この静けさと眺望は、やはり正眼寺に訪れてみなければ分からなかった…たとえ、訪れる目的を忘れてしまったにしても。やれやれ。
15時を過ぎると、今朝の冷え込みほどではないけれど、少し肌寒くなってきた。疲れた足で、来た道を引き返し、早川沿いの小道を湯本駅に向かう。観光客で賑わう表通りのすぐ裏手の小道を、人力車が観光客を乗せていく。アオサギが佇む早川の瀬音を聞きながら、『廻国雑記』に記されていた道筋を思い出す。
 
15世紀末、道興准后は、海辺の“早川の浦”で宿をとった。“波を枕に”旅愁の夜を過ごした翌朝、“箱根 三島などへ参詣せん”と、“風祭の里”で渡し船に乗り、この早川沿いを箱根に向かった。そして、おそらく今回の「湯坂路」を歩いた。そしてその夜、“箱根山に行き暮れて、今夜は社参に及ばず”と記し、翌朝、箱根権現に参詣して歌を詠んだのだった。
「こがらしの 錦をたヽむ箱根山 あけて見るにぞ 紅葉なりけり」(道興准后 『廻国雑記』)
15世紀末の道興准后も、この早川と須雲川の合流地点から湯坂山に入り、行き暮れて元箱根に着いたのだと、時を越えて親しみを感じた。
 
(帰宅後、正眼寺について改めて調べると、「早川庄 湯坂 勝源寺 燈籠、應永二年乙亥十月十九日」の銘を持つ灯籠が残っていることが分かった。鉛筆の書き込みは、おそらく「大江公資」を調べる中での「早川庄」関連の覚え書きだったようだ。むろん、その灯籠は確認できずに帰ってきた。仁和寺の法師の二の舞を繰り返している。)
 
湯本側入口の石碑には「湯坂山」の文字が刻まれていた。 イメージ 1
 
 正眼寺裏山の曽我堂の下には“湯本”の景観が広がる。
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夕刻の近づく早川の水色にまぎれ、じっと動かないアオサギ
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