7日に
湯河原駅-
熱海駅間を歩いたあと、「小田原道」について調べるなかで、図書館に、19世紀初頭に描かれた『
根府川通見取絵図』の資料があることを知った。
昨日、気もそぞろに図書館に向かった。ドキドキしながら重厚な装丁の資料を閲覧させてもらう。さっそく、7日に歩いたコースと照らし合わせてみた。
解説編や附録の『
五街道』(№79)などを読み進む。老眼の視界が明るく開けてゆくような気持ちになる。そして、いつもの通り、”
仁和寺の法師”のエピソードを思い出す。
「ある時思ひ立ちて、ただひとり、徒歩よりまうでけり」とは、まさに私の姿そのものだ。事前に、この資料を知っていれば、7日の踏査もずっと充実したものになっていたはずだ…『やれやれ』…。でも、こうした資料に出逢えた喜びのほうが大きかった。
今回、図書館の『
根府川通見取絵図』の資料で知り得たこと、それをもとに
歌人相模の”走湯参詣ルート”について想定できそうなことをまとめておく。
*小田原~熱海の
区間を
相模湾岸沿いに結ぶ道として、19世紀初頭時点で、「
根府川通」があった。そのコースは、そのまま、小田原からの走湯参詣ルートになる。
*19世紀初頭に描かれた「
根府川通」(
根府川通見取絵図』)と、18世紀半ばに描かれた「小田原道」(『熱海之絵図』)とは、ほぼ同じルートであろうと推定される。
*さらに、このルートは頼朝による当初の”二所詣ルート”(鎌倉→
伊豆山神社)にさかのぼる可能性があるのではないか。
*もう一歩進んで(進み過ぎかもしれないけれど)、11世紀初頭の
歌人相模の”走湯参詣ルート”にまでさかのぼるか、もしくは道筋がほぼ重なる可能性があるのではないか。