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私の第三十四夜をつづります。

走湯参詣ルート1 『相模集全釈』の詞書

 歌人相模は相模国に下向して3年目を迎えた正月(『相模集全釈』では1024年)、走湯に参詣した。
 私は、この走湯参詣を軸とする『相模集』と、歌人としての相模、受領の「つま」としての相模という女性に関心を持った。そして3年目を迎えた。しかし、いまだ何一つわかっていない。
 *大江公資が赴任した相模国の国庁、国守の「たち」はどこか。
 *相模の「やど」はどこか。
 *相模が走湯権現に向かった道筋はどういうルートか。
 これらのうち、中断したままの走湯参詣ルートについての疑問点をまとめておきたい。
 まずは、『相模集全釈』から、参詣ルートのヒントを選び出していこうと思う。
 
 『相模集全釈』(武内はる恵 林マリヤ 吉田ミスズ、風間書房 1991)より、引用させていただく。
【詞書】
「常よりも思ふ事あるをり、心にもあらで東路へ下りしに、かかるついでにゆかしき所見むとて、三とせといふ年の正月、走湯に詣でて、なに事もえ申しつくすまじうおぼえしかば、みちに宿りて、雨つれづれなりしをり、心のうちに思ふことを、やがてたむけの幣を小さきさうしに作りて書きつけし。百ながらみな古めかしけれども、やがて、さしはへてけしきばかりかすむべきならねば、まことにさかしう心づきなき事多かれど。にはかなりしかば、社の下に埋ませてき。精進のほどは斎といふ事をぞせし。」
 
【ヒント】
「みちに宿りて、雨つれづれなりしをり」
 ◆「みち」と「宿」
 *「みち」(相模国府周辺~伊豆山ルート)のどの地点で「宿」をとったか。
 *雨で「宿」の滞在が長引いたようすがうかがえる。雨が続いたためか、河川の増水のためか。