2014-03-08 2014.3.8 日記 思えば、四十代の頃の鬱屈は、吐きだしたいほど苦しかったように思う。 六十代になっても鬱屈はある。ただ、それは滓のような感じだ。吐きだして、消えたり、軽くなったりするとも思えない。その鬱屈は消えるはずもないのだ。生きることのしがらみなのだろうから。 そんな鬱屈が波立たないよう、やり過ごす…それには、波打ち際を歩くのが一番だ。波の音、風の音、それだけの世界になる。海がゆりかごのように私の鬱屈をしばし眠らせる。 漂着物(3月8日)