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私の第三十四夜をつづります。

走湯参詣ルート3 『相模集全釈』315・316・317の歌

 『相模集全釈』(武内はる恵 林マリヤ 吉田ミスズ 風間書房 1991)より、引用させていただく。
 
【「雑」の部】
 
315  あけくれの 心にかけて はこね山 ふたとせみとせ 出でぞたちぬる
通釈 常々参詣したいと思っていた走湯権現に箱根の山坂を越え、二・三年来の念願が叶って    出かけてまいりました。
 
316  あづまぢに 来てはくやしと 思へども 伊豆に向かふぞ うれしかりける
通釈 東国の相模の国へ下ってきたことは、残念に思うけれども、霊験あらたかな伊豆山に向う    のは嬉しいことです。
 
317  御山路の おとに聞きつる さかゆけば 願ひ満ちぬる 心地こそすれ
通釈 権現のまします伊豆山の、噂に聞いていた険しい坂をゆくと、「さかゆく」の言葉どうりこの    身も栄えていって、願いが叶えられたような晴れ晴れとした心地がいたします。
 
【ヒント】
315 「はこね山」の語
 通釈を読む限り、歌人相模の走湯参詣ルートは、箱根を越える道筋のように理解できる。
 一方、私の印象として、箱根越えは、相模国府(平塚市)と伊豆国府(三島市)とを結ぶルートとしては自然であるけれど、相模国府から伊豆山(熱海市)に向かう道筋としては、疑問に思うところがある。現在と同様に、最も直線的な交通路として、伊豆半島東岸に沿った道筋を考えてもよいのではないだろうか。
 では、315の「はこね山」の語をどう理解するか。
 牽強付会となるが、現在の私の理解は次のようなものだ。
 *あくまで歌作りのなかで、「あけくれの」の語から「はこ(ね山)」が導き出されたのであって、歌人相模は実際に箱根越えルートをとったわけではないのではないか。
 *歌人相模は、伊豆山を箱根の山並みと一体のものとしてとらえていたのではないか。
 
317 「おとに聞きつる さかゆけば」と「願ひ満ちぬる」の語
 この「さか」についても、より有名な坂として、箱根の坂を思い浮かべてしまう。
 ただ、詞書にも「ゆかしき所」とあったように、伊豆山は当時すでに有名であったことがうかがえる。走湯に詣でようと思い立った相模が、人からその実際の道筋の坂が険しいことを聞いていたとして、すなわち、それが箱根の坂に限定されるわけではないだろうと考える。
 また、歌人相模が、険しい坂を登りながらも、祈りが満たされてゆくような充足感を感じたのは、伊豆山の麓(海側)から「御山」を見上げての坂道だったからであろうと想像する。
 もし、箱根越えをしたのであれば、ルート後半の下り坂の先に伊豆山が位置することになる(この点については、後日、踏査して確かめてみたい)。
 『これが、伝え聞いていた御山路の坂…』と、一歩一歩高みをめざすような317の歌の臨場感からも、やはり箱根越えルートは採用しがたいと思うのだ。