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私の第三十四夜をつづります。

走湯参詣ルート4 『相模集全釈』519・520・521の歌

 『相模集全釈』(武内はる恵 林マリヤ 吉田ミスズ 風間書房 1991)より、引用させていただく。
 
 【「雑」の部】
 519  ふたつなき 心にいれて はこね山 祈る我が身を むなしがらすな
 通釈 ふた心ない私をお心にとめてくださって、箱根山の向こうの権現様にお祈りする我が身を、どうぞ空しい思いにさせないで下さい。
 
 520  くやしさも 忘られやせむ 足柄の 関のつらきを いつになりなば 
 通釈 東路へ来て後悔したことも、足柄の関のつらい坂道も、何時になったら忘れられるでしょうか。
 
 521  このたびは 心もゆかぬ さかみちに いたりにしより ものをこそ思へ
 通釈 今度の東国への旅は気が進まず、相模路に下って来てからずっと、物思いにばかりふけっています。
 
 【ヒント】
 519の「はこね山」について
 
*通釈では、「箱根山の向こうの権現様」と意を補うことで、”走湯権現への祈り”と結びつけている。そして、その「箱根山の向こうの権現様」という通釈は、相模の走湯参詣ルートを箱根越えと想定されていることにも通じているのだろうと思う。
 そもそも、519の歌を言葉通りにそのまま読めば、「はこね山」は”箱根権現”と解釈するのが自然なのかもしれない。しかし、519の「はこね山」が”箱根権現”では、歌意が成り立たない。だからこそ、通釈で「箱根山の向こうの権現様」と補足する必要があったのだと思う。
(この場合、相模は”箱根越えの走湯参詣ルート”の途中で箱根権現に参詣したのかどうか、という別の問題が生じるかもしれない。”箱根越えの走湯参詣ルート”は、源頼朝などの”二所詣”ルートとも係ってくると思うからだ。) 
 
 
*一方、当時の相模は「伊豆山」を「箱根山」の山塊の一部としてとらえていた、と想定する立場では、「心にいれて」と結びつく語としての「はこね山」は「伊豆山」と一体の山並みであり、「はこね山」の語はそのまま”走湯権現様”を意味することになる。
(仮に、相模が相模国府周辺から「伊豆山」の方角を拝した場合、「箱根山の向こうの権現様」という立地感はないだろう。「伊豆山」は、西の山並み(「箱根山」)のこちら側(海側)に坐している、と感じただろうと想像する。「箱根山の向こう」という見え方にあてはまるのは「富士山」であって、「伊豆山」ではないはずだ。) 
 
*なお、520では明確に「足柄の関」の語が用いられているのに対し、521では単に「さかみち」(相模路・坂道)と歌われている。 
 
*では、519の「はこね山」という明確な語はどうとらえるべきなのか。
 私としては、相模は歌作りの技術として、言葉と言葉のかかわり、流れやリズムを重んじて、実際には”(伊豆国の)走湯権現”に祈りながら、歌語としては「はこね山」を用いたのだと考えている。