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*在原業平 〔825~880〕
「918 秋の夜の 月のひかりし きよければ はこねの山の うちさへぞてる
『古今和歌六帖第二』
242 風吹けば はこねの山の たまこすげ なびきてわれに こころとどめよ
『元真集』
*曾禰好忠〔生没年不明〕註:977年 (丹後掾)
268 はこねやま ふたごのやまも 秋ふかみ あけくれかぜに このはちりぼふ
『好忠集』
*相模〔991?~1061以降〕
315 あけくれの 心にかけて はこね山 ふたとせみとせ 出でぞたちぬる
相模 『相模集』
417 はこね山 あけくれいそぎ 来し道の しるしばかりは ありとしらせむ
〈走湯権現僧〉 『相模集』
519 ふたつなき 心にいれて はこね山 祈る我が身を むなしがらすな
相模 『相模集』
*橘 為仲〔1014?~1085〕
同じ十四日、はこねの山のふもとにとどまりたるに、月いとあかし
136 朝ごとに あくるかがみと みゆるかな はこねの山に 出づる月かげ
『為仲集』
*橘 俊綱〔1028~1094〕
照射をよめる
140 ともしして はこねの山に あけにけり ふたよりみより あふとせしまに
『金葉和歌集』三奏本
*大江匡房〔1041~1111〕
242 箱根山 うすむらさきの つぼすみれ 二しほ三しほ たれか染めけん
『堀河百首』
*源 俊頼〔1055?~1129〕
雪朝眺望
671 ながめやる はこねの山を たがために あくれば雪の ふりおほふらむ
『散木奇歌集』
また、「源 俊頼」は、「源 経信」…入道一品宮邸で「相模」と歌を交わした歌人…の三男であり、「橘 俊綱」の養子であった時期があるという。
生きた時代が11世紀のなかで少しずつ重なるからなのか、相模、為仲、俊綱、俊頼たちは、歌の世界の「箱根山」で振れ合い、“多生の縁”を生じているようだ。
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結果、現時点では、橘 為仲のほかには「箱根山」の実景をふまえた歌と言えそうなものは見つかっていない。