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私の第三十四夜をつづります。

箱根山の月

 
 昨秋、平安時代の“筥荷途”が、“足柄路”の別路として使われていた可能性について考えたことがあった。そして、11世紀の橘為仲(?~1085)が詠んだ歌のなかに、「はこねの山に出づる月かげ」の語があることを知った(もちろん、その語は、為仲が“筥荷途”を採ったことを意味しているわけではないのだが)。
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「   同じ十四日、はこねの山のふもとにとどまりたるに、月いとあかし
136 朝ごとに あくるかがみと みゆるかな はこねの山に 出づる月かげ 」
                           (『新編国歌大観』「為仲集」より)
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 そして、今回、11世紀の為仲が宿泊した箱根山麓の地には当たらないが、12世紀末の富士~愛鷹山麓地域に移り住んだ僧の歌集(『閑谷集』)を偶然知ることになった。そしてまた、“箱根山の月”を詠んだ歌をもう一つ知ることになった。それは、9世紀の相模国司でもあった在原業平が詠んだ(らしい)歌だ。
 『新編国歌大観』の「古今和歌六帖第二」から引用させていただく。

918 秋の夜の 月のひかりし きよければ はこねの山の うちさへぞてる
                                なりひら 」
 
この歌を詠んで真っ先に目に浮かんだのは、青昏い水を湛えた芦ノ湖を廻る箱根外輪山、その墨色の山肌を照らす白い光、そして湖面を見入るような明るい満月…そうした情景だった。実際に、箱根外輪山の内側を照らしながら空を渡ってゆく月の姿を眼にしなければ、「うちさへぞてる」の語は生まれないと感じたのだ。遙任国司として想像してきた在原業平についても、この918の歌が確かに彼の歌であるならば、東下りの伝説にも現実的な背景があったのかもしれない、などとも思った。
ただ、一番の問題は私の読解力だ。「うちさへぞてる」の正しい解釈が分からない。「(箱根山の)内さへぞ照る」というような特殊な情景、特殊な言い回しの歌として理解できるものなのか。それとも「打ちさへぞ照る」(?)というような強調表現があり得るのか、そうならば業平は“箱根山の外側”に居たことになるのか…情けないことだが、古語や和歌についての知識があまりに足りない。
また、「なりひら」が詠んだ(らしい)918の歌よりも、なぜ、孫である在原元方の歌「308 秋のよの 月の光し あかければ くらぶの山も こえぬべらなり」の歌のほうが、他の歌集に多く採られているのだろうか。308918の第1句・第2句をそのまま使っているというのに。
こうして、918の歌(とくに第5句)の解釈が定まらないままに、とにもかくにも、箱根山を照らす月光を詠んだ歌が新しく加わったことは嬉しかった。それは単純に、平塚から見る箱根山が親しい風景だから…ただそれだけのことなのだけれど。