enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

2015.2.3

 何年ぶりだろう。昨日、4月公演のチケットを申し込むために、朝から電話の前にすわった。若い頃は、黒電話の重いダイヤルを必死に、人差し指が強張るほど回し続けていたように思う。
 今の電話なら指の負担も軽い。啼くまで待とう、ホトトギス…そのぐらいの気持ちでかけ続ける。それでも、20~30回はかけたのだろうか。あきらめてしまう前につながった。
 午後、散歩に出かけ、近くの店のレジで発行されたチケットを受け取った。いつものように天井桟敷の席。4月が来るのが楽しみだ…そうした気持ちも久しぶりだった。
 その一方で、やはり疚しい自分がいる。いつも、どこまでもついてくる疚しさ。いったい、何に対する疚しさなのだろう。いつからか、何かしらの不安・不自由から解放されている、もしくは逃げている自分への疚しさを感じるようになった。だからだろうか、生きることの充足を感じる閾値は低くなっているように思う。
 空を見上げる。歩く。季節の移り変わりのなかで、よどみのない外気を吸い込む。光と風を感じる。その喜びは、疚しさを越えてしまう。

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2月2日の海

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                       海上に並ぶ二つの塔

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砂の地模型?

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光るシーグラス(海硝子)

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防砂林のなかで光る枯れ葉


久しぶりに拾った巻貝
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