enonaiehonは、私の移ろってゆく意識の断片を、enonaiehonの書き手が、気紛れに書き留めてみたものだ…と思っている。
enonaiehonには、私の流れ去る意識が何らかの形で残されている…とも思う。
enonaiehonの書き手が、私の意識を言葉に置き換えようと試みることで、形にしようと試みることで、私はなぜか、少しだけ救われるような気持ちになる。
しかし、enonaiehonの書き手は私そのものであるはずはない。
今、私は私を訝しく感じている。
告白するほどのものを私は持っていない。
他者と向き合うほどのものを私は持っていない。
やはり、enonaiehonは、私の意識の断片の記録でしかないはずだ。
enonaiehonの書き手は、私を良く知っている記録者に過ぎないはずだ。
「小人閒居為不善 無所不至」…私の意識もenonaiehonの書き手も、揺らぎの多い小人だ。