enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

2016.2.6

 季節には始まりと終わりに光と影が差し込む。始まりには期待と喜び。終わりには儚さと静けさ。光と影の循環が果てしなく繰り返される。人の意識だけが、その季節に差し込む光と影の感触を探り、何かに置き換えようとこころみる。その感触をとどめて共有するためなのだろうか。
 
 梅の花がほころびはじめ、未来の時間から光が差し込む。桜の花が散りはじめ、過去の時間から静かな影が差し込む。季節の循環のリズムに思い描く光と影のイメージは、自分の命の時間にも重なっていく(常夏の人生を生きる人もいるのかもしれないけれど)。
 私にも、未来には根拠のないわずかな期待と喜びの光。自己愛とともに見渡す過去の記憶には儚さと静けさの影。季節の真ん中の時間、ともかくも命のエネルギーのままに懸命に生きた時間は、速やかに遠ざかった(ような気がする)。 
 人としての一つの内的な季節の終わりから見渡すと、外界の季節という果てしない移り変わりはとても美しく感じられる。そして、人の意識をもたない命の、自信に満ちた確実な歩みに励まされる。

冬から春へ① 常春の時間を生きているように見える命。
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冬から春へ② 人魚という‟形”に春の光が差し込み、わずかな時間、命が吹き込まれる。
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「海の賛歌」 【澤田政廣(1894~1988)、 1963年制作】