enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

2016.2.15

 12日・13日と大津・奈良を旅した。奈良博で『伊豆山神社の歴史と美術』展を見学し、関連講座を聴くためには、この日程でなければならなかった。
 出かけてみれば、空模様は悪くなかった。光さえあれば鉛色の空で十分なのだったけれど、奈良では晴れ渡る空を仰ぐことにもなった。底冷えの寒さもなかった。外歩きのすべての予定を終え、奈良博に向かおうとする時、ようやく小雨が降り始めた。夕方、奈良博から外に出ると、旅の終わりを告げるような雨音に変わっていた。
 
 【12日- ①】
 琵琶湖を訪れるのは4年ぶりになる。京都から堅田に向かう。電車から静かな湖面が見えてきた時、心懐かしく感じた。懐かしい人に対するのと同じような心の振動は、どこから生まれてくるのだろう。心が波動し始めるのを体のどこかで感じるのは素敵だ。
 
 堅田…ずっと「カタダ」と読んできた。駅から湖へと歩きはじめ、それは「カタタ」なのだと知った。”潟の田”だろうか。湖までの道筋には、故郷の海辺の漁港とはかけ離れて、堆積した時間が見え隠れするようだった。水辺には潮の香りはなく、波は静かにたゆたって消えてゆく。”淡海”は広大な園池にも似て、優雅だった。
 堅田港に立つ思いがけない三島由紀夫の文学碑。堀をめぐらす伊豆神社に咲く白梅。浮御堂から夢見る十六夜の月の出。遠く、湖面をきざむ繊細な網代木。湖水というやわらかな身体をよこたえて眠り続けている”淡海”。心の波動は何かへの回帰、何かへの憧れなのかもしれない。

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琵琶湖をすべる人、そしてユリカモメ

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網代木、そして浮御堂

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網代木、そして水鳥

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堅田港の水路と文学碑…三島由紀夫に限っては、1970年代前半、そのあらかたの作品を読んだはず…が、『絹と明察』の内容のひとかけらも思い出せない。もし本当に読んでいないとすれば、なぜ読まなかったのだろう。三島由紀夫も過去の自分も、限りなく遠い人になってしまっている。