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私の第三十四夜をつづります。

昨日、初めて知った歌のこと

 私にとって、出逢う和歌といえば、初めて知る歌ばかり。
 (昨日の講座のなかで紹介された歌も、聴いていた人々のなかで、たぶん私だけが知らなかったのかもしれない。)
 初めて知って、すぐに心惹かれた。遅くなったけれど、知ることができてよかった。

 (配られたテキストから)
「    摂政太政大臣家歌合に、湖上冬月
 志賀の浦や 遠ざかり行く 波間より 凍りて出づる 有明の月 (『新古今集』冬・六三九・藤原家隆)   」

 この歌の解説を聞きながら、去年2月に堅田の浮御堂から眺めた静かな湖面、対岸に連なる山並みを思い出した。そして、家隆という歌人が創造した、志賀の浦(琵琶湖西岸)から望む「湖上冬月」について、自分なりのイメージを思い浮かべた。そのイメージには、どこかフリードリヒの絵画に重なるところもあった。「遠ざかり行く波間」、「凍りて出づる」の表現にシュールな技巧を感じた。 
 「湖上冬月」という題から、639の歌が表現されるまでの間に、どのような創造の階梯があるのだろうか…とも思った。

 足元近くの凍りついた湖水面から、まだ凍らずにいる遠くの湖水面まで、有明の月の光の道筋がとぎれとぎれに続いている。
 その光の道筋を、対岸の低い山並み、東の空へとたどった先に、高く上がる実体としての有明の月(おそらくはまだ充分なふくらみと光をもつ有明の月)。
 
 家隆は、そんな情景を実際に眺めたのだろうか。
 歌われたすべてが備わった情景は見ていないのかもしれない。
 だからこそ、このような歌が創造されたのかもしれない。
 家隆は、実体の月ではなく、自分のなかで「月」という言葉が象徴するモノ(内面化された月?)の一つの形を言葉で描き出してみたのだろうか。
 さまざま、そんなことを思った。歌人とは凄いのだなと感じた。

2月半ばの琵琶湖(浮御堂の近くで)
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