私にとって、出逢う和歌といえば、初めて知る歌ばかり。
(昨日の講座のなかで紹介された歌も、聴いていた人々のなかで、たぶん私だけが知らなかったのかもしれない。)
初めて知って、すぐに心惹かれた。遅くなったけれど、知ることができてよかった。
(配られたテキストから)
「 摂政太政大臣家歌合に、湖上冬月
この歌の解説を聞きながら、去年2月に堅田の浮御堂から眺めた静かな湖面、対岸に連なる山並みを思い出した。そして、家隆という歌人が創造した、志賀の浦(琵琶湖西岸)から望む「湖上冬月」について、自分なりのイメージを思い浮かべた。そのイメージには、どこかフリードリヒの絵画に重なるところもあった。「遠ざかり行く波間」、「凍りて出づる」の表現にシュールな技巧を感じた。
「湖上冬月」という題から、639の歌が表現されるまでの間に、どのような創造の階梯があるのだろうか…とも思った。
足元近くの凍りついた湖水面から、まだ凍らずにいる遠くの湖水面まで、有明の月の光の道筋がとぎれとぎれに続いている。
家隆は、そんな情景を実際に眺めたのだろうか。
歌われたすべてが備わった情景は見ていないのかもしれない。
だからこそ、このような歌が創造されたのかもしれない。
家隆は、実体の月ではなく、自分のなかで「月」という言葉が象徴するモノ(内面化された月?)の一つの形を言葉で描き出してみたのだろうか。
さまざま、そんなことを思った。歌人とは凄いのだなと感じた。
2月半ばの琵琶湖(浮御堂の近くで)