enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

旅空で月を見るなら…。

 

夏と秋の風がとけあって寄せては返し、夏と秋の雲がとけあわず入り混じるような季節。

ふうふうと暑気を吐き出して暮らしたあとには、ひゅうひゅうと冷気を吸い込む季節が待ち遠しい。

こんな季節の変わり目には何だか旅空を見上げたくなってしまう。

夕方の買い物帰りに見上げる空には、リンゴを半割りにしたような月があった。

でも、旅空ではやはり、有明の月など見上げてみたい。

 

ゆくへなき 旅の空にも おくれぬは 都にて見し 有明の月
                         (藤原孝標女 『更級日記』)

 

藤原孝標女は、二度目の初瀬参詣の旅の帰り道、奈良坂近くで野営し、その旅空の月を少女のような視点で詠んでいる。

(二度の初瀬参詣は作者40歳頃とされている。30代半ばの歌人相模が初瀬参詣の旅先で詠んだ歌に比べ、藤原孝標女のこの歌には、素直さ・幼さ、やわらかな視線が感じられる。現実には、作者が都で見た月と同じ形の月が作者に後れないようについてきているわけではないけれど、子どもの頃からの月への親しみの気持ちをもとに、旅空の月の歌を詠む作者の心性は独特なものではないかと思う。)

久しぶりに、私も旅空の月を見上げてみたい。しかし、70歳の身体がどうも思うようにならない。どうにかならないものか。

 

9月4日の月:この月も10日には満月となるけれど、その日の平塚の空は?